一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.17 February & March (2) 山田正篤先生を偲んで

花岡 文雄

 東京大学名誉教授で本学会名誉会員でもいらした山田正篤先生が昨年12月16日にご逝去されました。ここ数年、肝臓がんを患い、ECHO(超音波診断)を見ながらのラジオ波焼却によるがん細胞の破壊を繰り返しておられました。昨年10月の神戸での日本生化学会大会の後、三ノ宮で門下生が先生の80歳のお祝いをしました。奥様もご一緒に東京から出てきて頂き、会の後、弟子の何人かが先生と奥様をご案内して、秋の有馬温泉を満喫して頂きました。その会の折、東北大学の榎本武美教授と私にだけ、「実はまた肝臓に何か出てきていて、今度はちょっと大きくなっているので、帰京したらすぐに入院することになっている」と打ち明けられました。その後、「短期間の入院を繰り返しながら(4〜5週間ごと)化学療法を続けるという状態である」とのお知らせをメールで頂きましたが、自身の忙しさもあって、お見舞いにも伺えずに過ごしておりましたところ、ご容態が急変し、終にはがん細胞に屈する結果となってしまわれました。あの集まりと有馬温泉とが先生との最後のお別れになってしまい、大変残念に思っております。ここに門下生を代表して、また本会会員の一人として、先生への感謝と哀悼の気持ちを込めて、先生を偲ぶ一文を記させて頂きます。

 山田先生は、昭和23年に東京大学医学部を卒業後、東大伝染病研究所(現医科研)、東大病院小児科での臨床経験を経て、国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の病理部にて動物細胞の培養を中心とした細胞のがん化・老化の基礎的な研究をされました。昭和44年、東大薬学部生理化学教室に教授として迎えられ、以前から暖めておられた哺乳類細胞のDNA複製の研究に着手されました。私は運よく初期の頃から山田先生の複製研究に関与することが出来、組織培養に関するマンツーマンの講義から細胞の継代、同調培養、オートラジオグラフィーなどのテクニック、そして培養器具の洗浄法に至るまで、文字どおり手取り足取り教えて頂きました。お陰様で動物細胞の培養に関しては、今でも誰にも負けない知識と技術を身に付けていると自負しております。

 次第にグループも大きくなり、DNA複製関連酵素の生化学的な解析、細胞周期に関する温度感受性変異株の分離と解析などの系統的な研究が進められていきました。やがて先生は東京大学評議員、薬学部長、日本組織培養学会会長、日本学術会議研連委員などの要職を務められ、学内外の用事で非常に忙しくなっていかれました。とりわけ本学会では、大会会長から始まって、学会長を二期4年、そして1984年に東京で開催された第3回国際細胞生物学会議では副会長を務められました。先生が学会長のときには、東大から群馬大へ移られたばかりの石川春律先生とご一緒に私も庶務幹事をさせて頂き、事務局のある京都の中西印刷に年に何度か足を運びました。そうした折の先生の口癖は「365日の一日だから仕方がないよな」というものでありましたが、きっと内心は早く雑務から解放されて研究に専念なさりたかったのだと思います。

 こうして先生が忙しくなられたため、学生の指導はもっぱら私や榎本さん、安田秀世さんなどのスタッフに任せられるようになりましたが、われわれ下の者は、先生という大きな存在があるだけで安心して、また自由に研究に専念することが出来、充実した研究生活を送ることが出来ました。研究に行き詰まったときには、先生のあのゆったりとしたお姿と包容力に満ちた笑顔に励まされ、また研究に疲れたときには、先生のご趣味の一つでもある露天風呂のあるひなびた温泉に連れて行って頂き、安らぎを与えて下さいました。 研究のうえでは、先生は時流におもねることなく、我が道を歩まれました。例えばエイジングのメカニズムにおいて、先生は一貫して、いわゆる「ヘイフリックの仮説」を支持され、それをサポートする実験データを積み重ねられました。当時、日本基礎老化学会などでは、細胞レベルでの老化研究などナンセンスである、と言われる方々が主流でしたが、先生は鋭い直感と自らのデータから、決して信念を曲げることはありませんでした。今では、細胞の老化が個体の老化と密接に関連していることは誰もが認めているところであり、先生の先見性には、あの頃、先生を批判しておられた諸先生も脱帽されていることと思います。

 一昨年、ノーベル化学賞が「ユビキチンの関与するタンパク質分解システム」を発見した3名の研究者に贈られましたが、その内容を紹介するスウェーデン王立科学アカデミーの公式ホームページには、山田先生とその共同研究者の樹立したts85という温度感受性突然変異株がこの分野の発展に大きく貢献したと一つの節を割いて紹介されていました。この記事を先生にお送りしたとき、先生は「我々の研究がノーベル賞の受賞に役立ってよかったね」と心から喜んでおられました。先生のご卓見に改めて強い感銘を受けたことを覚えております。

 一方で、先生はご自分から博物学者と言われるほど、何にでも興味を持たれ、また色々なことをよく知っておられるとても博識な方で、ややもすると視野が狭くなりがちな私どもに、広い世界に目を開かせて下さいました。とりわけ植物に関する造詣が深く、現役教授のときにも、余暇として「植物と自然」という雑誌に「私の好きな植物」という記事を何度も掲載されておりました。先生は東大を定年退官後、食品薬品安全センター秦野研究所や日本たばこ産業株式会社医薬研究所などで研究顧問を務められましたが、そのかたわらご自宅のお庭の手入れをなさりつつ「気になる木」、「身近の植物誌」、「シルクロードの朝顔」と言った単行本を次々と出版されました。ごく最近では、「真核細胞」という、細胞周期やDNA複製など、先生が専門とされていた分野の最新の知見を含んだ単行本の原稿をちょうど完成させられ、あとは編集と校正、という段階までに漕ぎ着けておられました。

 このように、先生はごくごく自然体で研究の道を究められ、その高い能力から、ゆったりと歩まれつつ素晴らしい業績を挙げられました。また教育面でも、弟子たちが日本のみならず米国、台湾などの大学や研究所あるいは民間企業で活躍するなど、先生は大きな成果を収めてこられました。かたわらから拝見していて、研究者としてのあるべき姿のひとつではないかと羨ましく思ったものでした。 今思い返してみても、先生は私ども下の者に自由に研究をやらせてくださいました。けれどもそのころの私たちはちょうどお釈迦様の手の平の上の孫悟空のようなもので、先生のご興味から抜け出すことが出来なかったのも事実です。しかしながら現在、弟子たちが曲がりなりにもそれぞれ自分の研究領域と言えるものを展開出来るようになったのは、その折の先生の、各自の自主性を重んじるご教育方針の賜物であると、心から感謝しております。 いつの日か「お陰さまで、私どもの研究も少しはがんの予防に役に立つようになりました」と墓前にご報告出来るよう、精進してまいりたいと存じます。 山田先生、長い間本当にありがとうございました。 

合掌


(2006-03-31)

日本細胞生物学会賛助会員