一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.17 January (8) 無題

西川 伸一

 私は人や物事に肯定的に対するせいで、感心したり尊敬したりする人は多くいるのだが、惚れるとなるとなかなかいない。しかし、月田さんは確かに私が惚れた人の一人だ。惚れるということは、端的に言ってしまうと、会えると思う時、心がときめくということだ。断っておくが、これは私の一方的な感情であり、月田さんがどう思っていたかは確かめたことはない。

 月田さんに最初に会ったのは、井川先生が毎年箱根で開催されていたギブコオリエンタルシンポジウムだった。熊本に移って、研究対象を血液から少し広げようかなと考えていた私にとって、この会は、発生学や細胞生物学分野の最新の研究に触れるいい機会であった。私も含め免疫学や血液学分野の多くの研究者の頭の中には形や構造を尊ぶ発想がない。もちろんそのおかげで、蛍光抗体を用いたセルソーティングのように、細胞を組織から切り離して研究する独自の技術が生まれるのだが、そんな私にとって、形や構造が形成されていくメカニズムについての研究はとても新鮮に思えた。とはいっても、結局は隣の庭。構造形成とそれに関わる様々な分子について講演を聴いてもなかなか頭の中にイメージが結ぶまでには至らない。育ちを簡単には乗り越えられないのかなどと諦めていたとき、月田さんの講演を聞いた。その後数限りなく月田さんの話を聞いているため、実際に何の話をしたのかはよく覚えていないのだが、接着部位を観察し、精製し、そこに存在する分子を決め、また再構成するという何度も繰り返されたお得意の話であったのだろう。しかし、私にとっては始めて、分子がSDSバンドに展開される直前まで、確かに構造として存在しているのだという実感が得られた瞬間であった。専門家には当たり前のことかもしれないが、構造が精製され、純度が電子顕微鏡で確かめられたあとSDSゲル上に展開される。なんとダイナミックなことか。分子が始めて構造を担う実体として私の頭の中に像を結んだ。「抽象的な世界に遊んでいる自分と比べて、この人には想像力を生み出す不変の源泉がある」ことを実感し、その場で、是非熊本でセミナーをしてほしいと頼み込んでいた。幸い月田さんも私の願いを聞いてくれて、交友が始まった。

 感心や尊敬でなく、何故惚れてしまったのか本当はわからない。しかし、本庶先生からだれかすばらしい人を教えてほしいと聞かれたときも月田さんの名を挙げていた。そのおかげで、彼と同じ時期に京大医学部でスタートしたのもときめく経験であった。その後は、公的にも私的にも本当に良く付き合ってもらったと感謝している。 そんな彼が不治の病に倒れたと聞いたとき、私はもう会うまいと決めてしまった。病に苦しむ友を見ても、もうときめくことはないという失望から、現実に背を向ける結果になってしまった。しかし今考えると、月田さんは逃げたくても逃げられなかったはずだ。月田さんの最後の時間に出会った人たちの話を聞くにつけ、惚れた人を励ますことすらできなかったことを後悔すると共に、もっと違う月田さんに会えて惚れ直したのではと残念にも思っている。


(2006-01-31)

日本細胞生物学会賛助会員

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