一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.17 January (4) 〜承一郎さんへ(の手紙)〜

尾張部 克志

 承一郎さん、あなたが眠りにつかれてから、もう一ヶ月以上たってしまいました。あの時は突然の訃報に接し、早智子さんに何とお悔やみを申し上げたらよいのか言葉が見つかりませんでした。承一郎さんの具合がかなり悪そうだとは風の噂で聞いていました。しかし公に知らされていないのに訪ねていくのも憚られ、このまま会うこともなく逝ってしまうのだろうかと何度も思いました。そして、それは現実となりました。教科書を書き換えるようなとても良い仕事をされ、さらにこれからというときに、残念でたまりません。早智子さんの挨拶で、承一郎さんの「自分は幸せな人生だった。ただもう少し長く生きていたかった」との言葉には本当に胸が詰まりました。密葬にもかかわらず声をかけていただき、悲しいながらもお見送りに立ち会うことができて、とても感謝しています。

 承一郎さん達が大学院に進学なさったときからですから、30年近くのつき合いでしたね。私は承一郎さんが登場し、成長し、成功し、そしてその絶頂期で突然幕が下りるまでを、少し離れたところからずっと見てきたことになります。デビュー当時からキラリと光っていましたが、研究対象をジャンクションに絞ってから一段と輝きを増し、近年は眩しすぎるくらいでした。学会のたびに月田研の発表に圧倒され、刺激を受けて帰ったものです。承一郎さんとの思い出はどれも懐かしく、楽しいものばかりです。今でも笑っている姿しか思い出しません。振り返ってみれば、承一郎さんの周りはいつも明るく、笑い声が絶えなかったように思います。あなたはサイエンスに対する真摯さを一見ミーハー的な言動でカモフラージュし、話題の豊富さと声の大きさで常にその中心にいました。飲み友達も多かったですね。でも、ちょっと飲み過ぎだったかもしれません。告別式のお写真は、そんな在りし日の承一郎さんのイメージそのものでした。やはり幸せな人生だったと思います・・・ただ一つ、早すぎることを除けば。今、強い光ほど消えたときに暗く感じることを実感しています。

 承一郎さんの大きな心配は残していく人たちのことだったと思います。でもそれは大丈夫だと思います。あなたの残された有形・無形の財産もたくさんあるでしょうし、親交のあった多くの友人たちも協力を惜しまないでしょう。なにより、承一郎さんの薫陶を受けた人たちです。安心して下さい。

 私たちはこの先、いろいろな場面で承一郎さんの偉大さ、また失ったことの大きさを感じることでしょう。でもその度にあなたのことを懐かしく思い出すことにします。承一郎さん、これまでのおつき合い、そしてたくさんの楽しい思い出をありがとう。安らかにおやすみ下さい。


(2006-01-31)

日本細胞生物学会賛助会員

バナー広告