一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.14 February (1) 生命科学の研究者として

米原 伸 (京都大学生命科学研究科)

 細胞生物学を含む生命科学の研究は,まさに爆発的な勢いで発展し,これからも発展し続けることが期待される。日本における生命科学研究も,そのレベルは世界の中で上昇してきたし,今後も格段に上昇しつづけていくだろう。我々は.いや細胞生物学会に所属する若い研究者の皆さんこそは,今後の生命科学の発展を自ら切り開く担い手であり,実際に体現していく研究者であると考え.エールを送る意味を含めて,本巻頭言を執筆した

 爆発的に発展し続ける生命科学研究はそのあり方さえも,すさまじく変化させているようだ。研究領域の細分化と,各領域内での研究の深まり/複雑化と進歩は目覚ましく,自分の研究と直接関係のない研究分野の発展についてはフォローしきれない、研究内容と研究者の顔や名前が一致して認識しにくい状況が生まれつつあると実感する。生命科学研究全般の現状を見渡し,自らの研究方向をとらえ直す試みは困難になってきているように思われる。大学院に学ぶ若者達が卒業後にどのような研究領域に踏み込むかを考える際にも,膨大な情報を取得し整理しなければならないし,研究を成し遂げた研究者の血の通った情報を取得する余裕もないという難しい状況が生まれているのだろう。生命科学研究全般を鳥瞰し,その流れを正しく認識し予測することが.日本の研究者が海外の超一流の研究者から学ぶ必要がある(後れをとっている)最も重要な事柄の一つであると私は考えるが,爆発的に発展し続ける生命科学の現状は,このような問題点を我々にさらに鋭く突きつけているように思われる

 このようなことを感じているときに,次のような文章を目にした。「命名がいかに偶然の産物であるかは,……アポトーシスと呼ばれる細胞死を引き起こす細胞膜タンノヾクとして見つかった物質は別々の研究者によってFasあるいはApo-1抗原と命名されたが,その活性を暗示する名称Apo-1ではなく.Fas抗原の方が定着していること,などから理解されよう。(岩波書店「科学」Vol.74 No.1 p120)」この文章には,実際にPasやApo-1を発見したり,研究を進展させてきた研究者達の様々な思いや.歴史的な事実に対して理解を示してないという大きな問題が存在すると同時に,先に記した私の感じる問題意識を刺激するところがある

 Death Receptor FasとApo-1のストーリーは,細胞が遺伝子によってプログラムされて死んでいく概念が示されつつあった1989年に,細胞表層に対するモノクローナル抗体が細胞死を誘導するという新しいシステム(細胞死までもが偶然性を必然的に含有する細胞外からのシグナルで特異的に誘導されるという新しい概念に発展する)を、日本の我々とドイツのPeter Krammerのグループが,それぞれ独立に偶然発見し発表した事に始まる。その後,Fasの命名が国際的に定着することになったのは先に示した文章のとおりであるが.日本で命名された名称が国際的に定着しないことが普通に認められるのに対し,Fasの名称が定着した理由は,オリジナリティーが認められただけでなく,クローニングを含めた分子の同定や生理機能の解明が激しい国際的な競争の中で日本のFas陣営からなされたことにある(長田重一博士の貢献である)。FasとApo-1のどちらの名前が残るかにも関係する戦いともいえるサイエンス上の競争や,competitor間における人間としての様々な関わり合いに,理解を示していない文章を読むと,Fasを発見し命名した者としては非常に残念な思いを抱いてしまうのだが、この文章には別の意味で重要な指摘が含まれていることも事実である。すなわち、 Apo-1という名称は,当時の生命科学研究においてapoptosisという細胞死の研究が具体的に発展すべき大きな課題として海外の第一線の研究者から認識されていたからこそ命名されたということを認める必要がある。ちなみに.FasはFS-7という細胞株から同定したことにより命名している(FS-7-associated surface antigen)。私がFasを見いだした当時を思い返すと、現象に強い興味を覚えたからこそ執念を抱いて研究を遂行した(研究を遂行する動機づけは持っていた)ものの,生命科学における体系だった意義や生命科学研究の流れにおける位置づけにまでは考えがいたらなかったというlのが正直な思いである。サイエジスを遂行してきた歴史の重みに差を感じざるを得ない

 このような考えや思いを抱くことかあっても、私の日々の研究生活は目の前に存在する議題を解決することに終始していることも事実である。しかし,様々な経験や考えをもとに,私自身の生命科学研究を遂行していくことによって.私自身のサイエンスに新しい展開を導入したいと希望している。そして,若い世代に属する研究者が.常に新しい局面を迎えている生命科学の研究領域において,私の想像を超えた新しい考え・思考法・立場から,生命科学の歴史に足跡を残す新しい業績をあげることを期待したい。このような意味からも、新しく生まれ変わる細胞生物学会が,新しい生命科学研究者の成長に貢献することを強く期待したい


(2004-02-01)

日本細胞生物学会賛助会員

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