一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.14 April (1) ちかごろ都にはやるものは

勝木 元也 (岡崎・基礎生物学研究所)

 近頃,「社会貢献」とか「説明責任」などの言葉が身近に氾濫し,何か責められているような気分にさせられます

 このある種の不安は,ここで提示されている「社会貢献」や「説明責任」の対象が,我が国の納税者であることに拠っているように思います。別の言葉で言うと「国益」というものかも知れません。科学研究を業とする我々にとっても,「国益」といわれると,少しの愛国心と,たくさんの後ろめたさを感じてしまうのはなぜでしょうか

 あまり考えたことがなかったのですが,「国益」と「知的所有権」とが一対となって語られるのを聞くたびに,科学研究は人類の知識の拡大のおもしろさにあるのではないのかと気づかされます。このおもしろさの追求を説明する相手は,人類全体です。一方,「国益」とは,納税者を対象としたものです

 しかし私たちには,説明の相手が納税者であるという感覚は極めて不足していますし,そうでなければ良い科学は生まれません

 まして,「国益」のために社会貢献をし,説明貢任が果たせる計画だけが,例えば細胞生物学分野で選択されて,費用が認められるとすれば,おそらく学問としての細胞生物学は衰退し,別の分野に乗っ取られると思われます

 そのようなことが今,我が国に起こりそうな予感がして心配です。学問は本来,未知のことを如何に問題として作り上げるかに係っています

 未知のことを理解するには,充分な計画が必要なことは当たり前のことです。しかし,多くは,計画通りに進みません。しかも新しいことは,計画通りに行かなかった時や,失敗と思われることを追求しているうちに見つかることがしばしばです。そこで,米国のNIHでは,研究費の採択や評価に当たって,「未知を追求することが研究の本質であるから,研究には計画通りの遂行が不可能な要素が含まれていることを充分に考慮しておくこと」とされています

 我が国の,短期的な見通しに基づく計画と,目に見える社会貢献を強制するような雰囲気は,科学の発展に本質的な破綻を招く危険性があります。とくに,重点分野に投資するために,それを育ててきた基礎研究から費用が流失し,明日の種籾まで食べてしまうような政策の招来には抵抗が必要かもしれません

 長期的に継続的なことは,学問の前提ですから,静かに,落ち着いて,深く考えることが出来る安定した環境の整備こそが,「国益」につながる科学行政ではないでしょうか。今,行わずして,いつ,と私に問うた方がいました


(2003-04-01)

日本細胞生物学会賛助会員