一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.13 August (1) バイリンガル

瀬原 淳子 (京都大学再生医科学研究所)

 私はバイリンガル。といっても,関西弁と関東弁(標準語とよばれるものに近いことば)のバイリンガルで,それはもう見事なもののようです。相手や置かれる状況によって,本人がコントロールするまでもなくコロコロと変化し,ああ,これが日本語と英語だったらどんなに楽なことか……

 しかし私のバイリンガルは客観的にとらえると実に面白く、言語が思考といかに結びついているものかよくわかります。例えば,20何年間住み慣れた京都を離れてから分子生物学・発生生物学の世界にはいった私のCNSの言語野には,「関西弁の生物学」が見当たらないらしく,夢中で研究の話をしているときは,必ずと言ってよいほど関東弁,さもなければ英語のことはあっても関西弁が出てくることは,まずないのです。もし,私が京都弁で研究の話をしているのをお聞きになったら,「あいつ他ごとを考えながら話しているな」と見破ることができるでしょう。一方,教授会などの会議のときは,何故か京都弁になることが多いのです。

 ところで,先日,細胞生物学会のとあるシンポジウムに参加して,とてもびっくりしました。シンポジウムが英語で行われていたにも関わらず,若い人が(学生さんでしょうか)スピーカーに日本語で質問されたのです。そのシンポジウムはたいへん盛況でしたから,覚えておられる方も多いことでしょう。なんとそのあとの方々も次々に日本語で質問され,その白熱ぶりに唖然としてしまいました。司会の方々やスピーカーの方の戸惑ったようすに(?),さっそうと登場した林茂生さんが英語の質問に戻して下さり,気のせいか場内もホッとして,次のスピーカーに無事進んだのでした。「こんなことなら,いっそのこと外国から招待せずに日本語でやった方が活発に討論ができてよかったんじゃないの?」と思う反面,「もし白分が例えばフランスの学会に招待されて,おもしろいトークのあと白熱した議論がもっぱらフランス語で展開されたらどんな気持ちになるかしら?」と,悲しい気持ちになりました(筆者はフランス語はケセラセラ,なるようになれ,くらいしか知りません)。やはり英語でおこなわれているシンポジウムのときは,努めて英語で進行してほしいな,と私はあらためて思ったのですが,いかがでしょうか。

 今,実はうちの研究室にはドイツ人研究者が学振の短期留学で2ケ月間滞在しています。ある日彼が言いました。「街で道を聞くときは,中年女性にかぎるね。若い人は10人に9人までダメで驚いたよ。僕は,右か左か,YesかNoか尋ねているだけなのに,それすら答えてくれないんだよ。」中年女性の私は答えました。「そうかも知れないね。若い人たちは完璧な文章で答えようと構えるからいけないのかも知れない。それに対して,おばさんは気取らないからね。」

 彼が来日した当初はうちの研究室もどうなることかと思っていましたが,秘書さんも含め最初はモジモジしていた研究室の若い人たちは,もうすっかり打ちとけています。Broken English だとしても,それで伝えよう,コミュニケートしようとすることがすごく大切だと,彼等をみてつくづく思います。

 私達の世界の論文は現在そのほとんどが英語で書かれていますが,すごい研究成果を発表する論文は往々にして,その文章は美辞麗句につつまれることなく,ときとして彼等白身の興奮も伝わってくるような簡潔さで書かれているように思います(私の場合は,美辞麗句に包もうとしても,語彙が足らないことが簡潔さにつながっているだけですが)。そこにある英語はまぎれもなくサイエンスの言葉であり,そこから伝わってくるのは明らかにサイエンスを通してコミュニケートしようとする私達研究者の共有文化としての言語なのです。それが日本語でなかったことはとても残念ですが,すごい研究のときは日本人の論文の場合も同じように心に迫ってくるから不思議です。

 外国のスピーカーが出席している英語のシンポジウムのときは,若い人たちこそ,コミュニケーションの気持ちを大切にして,やはりサイエンスの共通言語としての英語で質問してほしいな,と思います。日本語だと複雑な質問でも,英語に変身すると意外と論理的にもシンプルになって,自他ともにかえってわかりやすくなるのではないかしら。あのとき熱心に質問している彼女に,「頑張って英語で聞いて!」と背中を押してあげたかったです。


(2002-08-01)

日本細胞生物学会賛助会員