一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.11 March (1) 生物研究の批判について

石川 冬木 (東京工業大学・大学院生命理工学研究科)

 生物はゲノムにコードされたプログラムに従ってさまざまな生命現象を示す。その一方で,生物は多くの階層にわたって多種多様な分子,複合体,細胞,組織から構成される。このような複雑な集合体である生物は,「人間機械論」から想像されるよりもはるかに多くのゲノムにはコードされていない非プログラム的な挙動を示す。プログラム的生命現象と非プログラム的生命現象を見分ける基準は何であろうか。明らかに,生物プログラムが書き込まれたゲノムは,自己複製によって生物種を維持するという一義的な目的をもつ。従って,プログラム的現象は直接的・間接的に生物の種としての維持に貢献する生命現象を指すものであり,非プログラム的現象は,そのような意義が見あたらない現象であると理屈の上では考えることができる。すなわち,全てのプログラム的生物現象は適応的である。しかし,事態を複雑にしているのは,プログラム的現象は,プログラムという名前から想像されるような決定論的な現象ばかりとはかぎらないことである。特に,生物を構成する成分がしばしば示すもう一つの特徴である協同的相互作用を介した現象の場合,最初のきっかけとなる現象は高度に確率論的である場合が多い。また,長い歴史をかけて生物プログラムを作り上げた進化過程そのものは確率論的な現象の最たるものである。従って,統計的な現象を意味のないものとみなす理由は何もない。一方,典型的に決定論的な現象であっても,生物学的プログラムの一部をなすとは認められない,あるいは将来認められそうもない現象もたくさんある。ニュートン力学は物体が落下する様をよく説明するが,パチンコ玉が落ちる様であればともかく,あまたの石の転がり方に興味を持つ者は少ない。

 私がなぜこのような面倒なことに言説を費やしたかというと,分子生物学的に決定論を証明しないと研究として意味がないと言わんばかりの言説をしばしば(特に研究評価の場で)聞くからである。

 逆に,生物学の対象として適応的生命現象しか興味がないと考えるのもひとつの自然な感情ではある。しかし,そのような考えであるならば,医学的な応用を申請書に唱うのは遠慮すべきであろう。なぜなら,いわゆる生活習慣病やヒトの老化に適応的な要素は全くないからである。近因は決定論的であっても,これらの過程に遠因は存在しない。近因の解明を通じて治療手段への道を開くことはできても,遠因が存在しない以上,全ての生物種,個体に共通な老化過程は存在しない。しかし,国民が医学研究に期待するものは,そのようなある意味では生物学者には人気のない生命現象への切実な対策なのである。

 細胞生物学は,対象とする生命現象の複雑性ゆえに,ここに述べたようなジレンマが最も先鋭的に表出する分野といえる。我々は自分の守備範囲を確認することはいいが,他人への批判には十分に気を付ける必要がある。

 


(2001-03-01)

日本細胞生物学会賛助会員

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