一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.11 May (1) 21世紀は男の時代−いつもこころはホームラン

平岡 泰  (郵政省通信総合研究所)

 21世紀は女の時代?いやいや、21世紀こそは男の時代。21世紀にはこの国も変わる(と思いたい)。郵政省も消滅する。時代の流れの中、社会の生産性を上げるにはどうしたらよいか。精神論では何も変わらない。制度が変われば意識は変わる。価値観の多元化、雇用形態の多様化、雇用の流動化、選択の幅は広ければ広いほど望ましい。今、自由な選択を満喫しているは、女性である。男は社会のしがらみに束縛されてきた。男が現在に縛られている間に、女性は屈託なく新しい未来を受け入れる。今こそ男を呪縛から解放しよう。願わくは、私も妻に養ってもらって悠々自適にサイエンスをしたい。能力があろうがなかろうが、男ばかりが仕事をしなければならないのはよくない。女性にも能力に相応の仕事をしてもらおう。能力さえあれば、男も女もなく、責任ある職務についてもらう。そうすれば、男だからといって、無理に仕事をしなくてもよくなる。がまんして仕事を続けることはない。いやならやめる。気軽にやめる。いいのがあれば乗り換える。男女関係と同じである。この流動性によって男女関係も職場関係も最適の組み合わせに落ちつき、生産性が上がる。

 仕事をする上では、男も女もない。Be professionalに尽きる。一方で、男と女は互いに理解し合えないと知っておくことも、また重要である。理解できないものとあきらめて、プロフェッショナルな信頼関係に期待するだけである。明らかに男と女は違う。男に「このボールペン、どこで買った?」と聞くと、「どこそこで買った。」という返事が返ってくる。同じ質問を女性にすると、すぐには返事が返ってこない。いろいろなことを考えるらしい。(なぜ、そんなことを聞くのだろうか。何か、不都合があっただろうか。責められるだろうか。ひょっとして、ボールペンの持ち主に関心があるのだろうか。)といったことを、めまぐるしく考えるらしい。女性に対しては、質問の意図を明確にして、不安を取り除かなければならない。例えば、「うちの娘がこんなボールペンを欲しがっているんだけど、どこで買った?」と聞くと、安心して答えられるという。そんなバカな、と思いつつ、うちの女性スタッフに真偽を聞いてみた。すると、「そりゃ、考えますよ。男の人は考えないんですか?」と言われた。こいつは手ごわい、手に負えない。

 男は単純である。女は複雑である。個体差もあるが、性差も大きい。私は男の中の男、最も単純な部類に属し、地球最大の単細胞生物と呼ばれる。男は、その単純さのために、有史以来、女に弄ばれてきた(私だけ?)。男女が互いに理解できると誤解するところから、問題が生じる。女性は、男も自分と同じように複雑であると思うから、深読みをしてすれ違う。男は犬のようなものと思えばがまんできる。飼い慣らされる前は、狼だったりする。いきなり吠えたり噛みついたりする。そこに深い意味はない。ただ吠えたくなれば吠える。まあ犬だからと思ってあきらめることである。適当に吠えさせて、自分のほうが偉いと思い違いをさせておけば、幸せに走り回っている(私だけ?)。当面は、利用できるかぎり利用するのがよい。

 さて、男であるか女であるかは個性の一部にすぎない。男も女もなく、21世紀は生命科学の時代。自然に対する我々の理解は、しょせん現在の科学のレベルによって制約されている。大切なことは、自然が黙示する問に気づくこと。ひとたび問が見つかれば、問はそのままに答である。何が正しいかは、いずれ歴史の中で自然が証明する。我々は、ただ科学の歴史を刻むだけである。やがて科学が進み理解が深くなった時には、現在の科学者は多かれ少なかれ、皆愚かである。科学を進めるということは、昨日までの自分が愚かであったことを示し続ける努力である。愚かさをさらけ出すことを恐れてはいけない。こじんまりとした小さな枠の中に科学を押し込めてしまうな。夢は大きく持て。ときめきは宝物。いつもこころはホームラン。

 文献
1)サミー・ソーサ(1999)「いつもこころはホームラン」
2)原口徳子(2000)「21世紀は女の時代」細胞生物学会会報


(2000-05-01)

日本細胞生物学会賛助会員