一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.10 January (1) 21世紀の科学を思う

石川 春律 (群馬大学医学部)

 2000年を迎え,世紀末の喧噪もあるが,思いはつい21世紀に向いてしまう。21世紀はと聞かれるたびに,どのような世紀になるか予想もつかないと答えざるを得ない。これからも5年,10年ぐらいは何とか予想はつくが,21世紀全体となるとやはり想像がつかない。大きな変革が起こるに違いないという思いに,何か一抹の恐怖感もつきまとう。1世紀前の先人は20世紀の発展をどのようにみていたのであろうか。人類が何を可能にし,どのような生活をするようになったかは結局科学技術の発展を意味する。

 科学の進歩は急速である。今日ほど科学者が自信を持って研究を進めた時代はない。考えられるあらゆる課題に解答が用意されているような錯覚さえある。生命科学において然り,科学技術の発展は目を見張るものがある。細胞内で繰り広げられる生命現象が神秘のベールに包まれ,科学者が隙間からわずかに垣間みていた時代はついこの前のように思える。1950年代になって電子顕微鏡が生物に本格的に応用されるようになり,細胞の構造が実在として超微細なレベルで可視化された。その結果,細胞構造は分子構築という観点で物質と直接結びつけられることになった。同時に始まった各種生化学的,生物物理学的技術の開発と相まって,細胞の構造と機能に関するわれわれの知識は急速に増大した。そこに,細胞生物学が創始されたが,当初は細胞の構造と機能を相関させたいと果たせぬ願望のようなかけ声を出していた。今や細胞の生命現象を包んでいたベールがことごとく取り除かれ,分子機構として説明されるようになった。病気の原因も遺伝子レベルで次々と明らかにされている。その後,分子生物学との融合が進み,分子細胞生物学としての今日の展開が見られる。研究者は自信を持って,形のあるなしを問わず,見たいものを見る技術を開発し,複雑な化学反応の流れまでも再現でき,遺伝子の点変異さえ見逃さず,機能障害へ結びつけた。

 研究計画を見てもそれが明白である。何をいつまでに解明すると断言さえする。また,研究計画にもそれを明記することが求められる。確かに今日使われる研究技術はそれを可能にし,その実例も次々と示されてきた。

 わが国がこれから生きる道として科学技術創造立国論が浮上し,科学技術基本法も制定された。その中で,基礎研究,応用研究および開発研究の調和のとれた発展が謳われ,その恩恵は基礎研究に及び,研究設備を含む研究費の急速な拡大が進んでいる。科学と技術は不可分の関係にある。今や基礎研究といえども最新の高度な技術なしでは進められない状況にある。また,研究成果は直ちに人間社会に益する形で還元することが求められる。その要求はますます強くなって行くであろう。しかし,何が益で何が不益かの判断は難しい。そこで研究者に倫理性が求められるが,最終的に社会に責任があることは自明である。

 研究者であれば誰でも,研究が計画通り進み,世界に問える成果が得られることを願っている。そこには挑戦もあり,成し遂げたときの喜びは言葉に表せられない。しかし,軌道の上を走り,目的地に着くといった研究が繰り返されることになれば,研究者自身は何か物足りなさを感じることにならないだろうか。研究の創造性とは何だろうか。研究者としての喜びとは何だろうか。平たくいえば,他人より早く発見したり,解明したりすることに尽きるかもしれない。そうだとすると,時間の勝負であり,人と金の問題になりはしないだろうか。そこに,夢見る余地などないのだろうか。科学にロマンはなじまないのだろうか。21世紀の科学の発展を思うとき,ふとそんな疑問がよぎる。


(2000-01-01)

日本細胞生物学会賛助会員