一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.10 July (1) 都立大学生物科学専攻

久永 貴市 (東京都立大学理学研究科)

 6月某日,原稿の催促。この小稿が印刷される頃,世の中はどうなっているであろうか。7月になっても何も起こらないとは思っていながらも,これが日の目を見ないことを祈っている。私の最も苦手とするこの類の原稿が何故か今年は多い。世(紀)も末のせいであろうか。さらけ出す中身の無いことをどうやって胡麻化そうか。

 私は2年前に国立大学から公立大学である都立大に移った。都立大の生物科学専攻は,教員(助手を含めて)が40人強からなる比較的大きな専攻であるが,細胞生物学会員は私どもの研究室だけである。以前にも居なかったと思われる。ここで何とか質のよい研究を行いたいと願っているが,これまでとは違った様々な事情に遭遇し,大変さも感じている。そのあたりについて記すことにする。

 生物科学専攻は15研究室(1研究室あたり教員が2から3名)と牧野標本館(植物と動物の分類・生態)の2講座からなっている。キャッチフレーズは生態から分子生物学まで,微生物から植物・動物までの幅広い分野をカバーしていることである。当然のことながら各分野の層は薄くなっている。広く、浅くである。また,創立当初〔今年都立大創立50周年)からの流れを何らかの形で受け継いでいる研究室も多く,新陳代謝は盛んではなさそうだ。教員の多くは活性化の必要性を感じているが,教室規約に縛られて労力も時間もかかりそうである。そのような状況を反映してか,都内にありながら,研究上の刺激が比較的少ない。刺激を求めて,旬な人を呼ぶのがはばかれる気がしているのは私だけではないようだ。都立大はとてもきれいな大学である。キャンパスは非常によく整備され,「ヨーロッパの伝統のある大学」という雰囲気を醸し出している。建物の外観はしゃれており、内部にもアトリウムと称する大きな吹き抜けがあり,エレベーターホールは広く,共通〔役に立たない)部分は蟹沢に使われている。都庁舎(同時期に建て与れた)とイメージが似ている。ところが,いったん研究室に入ると状況は一変する。狭い室内に机や実験器具が堆く積まれている。潜水艦の内部を想像していただければよい。生物学科では教授室はあってないようなものである。実験機器や学生の机により,教員の居場所は角に追いやられている。隠し事の出来ない近さである。こっそりと話すときは廊下で立ち話をする。教員が数人集まれば,スペースについての不満がでるが,都の財政状況から当分は無理かとあきらめ顔である。

 都に頼らないようにするのも大変である。会計方式が違うのか,研究費を取ってくるのも使うのも非常に窮屈である。各種助成金など申請するときに,前もって了承を取らなければならない。了承を取らずに助成金を得ても,年度の予算額を超えてしまうと受入を拒否されてしまう。提案公募型の研究費も,最近は受け入れ体制が出来てきたが,当初は非常に苦労したようである。研究費を取っても,使い方がまたうるさい。例えば,建物は「何とか建築賞」というものを貰っているため,工事が難しく,しかも,工事をするには有名な設計事務所にお願いして高いお金を出さなければならない。

 事務員と教員との関係も国立とは違っている。都に所属する大学が少ないため,事務員の人事異動は大学と他の部署との問で行われる。極端な場合は,都バスの運転手さんが科研黄の事務手続をするようなことも起こりうる。どうも,都は専門職を嫌う傾向がある。大学図書館にも司書の資格を持っている方が配属されることは殆どない。そのため,本の整理の統一がとれなく,検索には忍耐と根気を必要とする。尤も,私どもは必要とする蔵書が少ないため,最初から検索は諦めている。雑誌購入費を考えると,雑誌の不足も止むを得ないと思うが,都には臨床研など優れた研究機関がいくつもある。お互いに足らない部分(文献だけでなく人材も)を補えばよいと声は上げるが,小さすぎるのか実現は遠そうである。

 また,事務員は数年で部署が変わる(都立大学から離れる)ため都立大学に対する愛着が生まれにくい。逆に,都立大学のためではなく,都庁の意向に沿った管理をすることで,都庁に戻れるという噂もある。そのためか,教員か決めたことが,そのまま都庁に伝わらず,事務で修正されることもあるし,教員に伝えられるべき伝達が,事務段階で処理されてしまうことがあるようだ。ここだけの話であるが,都立大総長と事務局長(大学事務のトップ),どっちがえらいのかよく判らないことがしばしばである。

 まだまだある。しかし,研究環境をよくする努力とともに,与えられた環境で何とか凌いで行かなければならないことも確かである。幸いなことに,都立大には生物の好きな学生が多い。細胞生物学の面白さを一人でも多くに伝えていきたいとは考えている。


(1999-07-01)

日本細胞生物学会賛助会員

バナー広告