一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.9 December (1) ポストゲノムにむけて

前田 ミネ子(みね子) (大阪大学・大学院・理学研究科)

 この1,2年,世界の先進国でゲノムプロジェクトに大きな投資がなされている。その理由を私は次のように考える。ゲノムがもつ巨大な情報の重要性が基礎科学と応用科学の双方から認識され,テクノロジーの飛躍的な革新により短期間に比較的に少ないお金でプロジェクトを完了できるという認識が広まった。また,ゲノムプロジェクトは新しいテクノロジーとビジネスを創出し,21世紀の産業に大きく関わるとの認識が高まった。このような認識自体は基本的に正しく,ゲノムサイエンスへの積極的な投資が国家的な事業としてなされることは歓迎される。実際テクノロジーの飛躍的な革新により作業の大部分をパート職員や技官に依存して進めることが可能になっており,人件費や作業の外注に経費を柔軟にさけるような研究体制さえ確立すれば大学でもゲノムプロジェクトに取り組める状況である。

 2年半前,細胞性粘菌DictyosteliumのゲノムをcDNAレベルで解析するというプロジェクトを数名の日本の研究者とチームを組んで開始した。細胞性粘菌は,細胞運動や多細胞体形成などの細胞生物学上の課題を理解する上で有利な特徴をもち,またゲノムサイズは35Mb(酵母の2.7倍), ゲノムにおける遺伝子密度が極めて高い(平均4kb毎に1遺伝子)こともこのプロジェクトの成功を確信させるものであった。幸いこのプロジェクトは,特定領域研究「ゲノムサイエンス」や学振・未来開拓事業からの支援を得て,現在までに11128cDNAクローン3’-未端からの塩基配列を決定し,今年中には約18000クローンの解析を終える予定である。これまでの結果は,60%(2334clones)が新規遺伝子,31%(1225clones)は既知遺伝子のホモログ,残りの9%(346clones)は既知の細胞性粘菌の遺伝子と同一であることを示している。既知遺伝子のホモログには,種々の細胞骨格蛋白やシグナル伝達に関与する蛋白質をコードする遺伝子のほかに, アルツハイマー疾患の原因遺伝子の一つであるpresenilinやBatten diseaseの原因遺伝子(CLN3)などの興味深いヒト遺伝子ホモログ,さらにセルロース合成酵素をコードする遺伝子なども含まれている。これらの事実は細胞性粘菌が動物と植物の両特徴を持つ生物であるという事実とも相侯って,機能解析の結果が待たれる。

 このプロジェクトでは,(1)相同性組換えによる遺伝子破壊, (2)マイクログリッドまたはマイクロアレイを用いた経時的な発現パターン,(3)In situ hybridizationによる空間的な発現パターンを解析し,ポストゲノムのためのデータベースの充実を目指している。例えば私の研究室では,これまでに本プロジェクトで同定された13種類の低分子G-蛋白Rabホモログについて解析しているが,これらは極めて面白い多細胞体における発現パターンを示すことが分かった。Rabは小胞輸送を介して分泌物質や細胞膜蛋白の細胞表層への移行に関与し,多細胞体構築における細胞間相互作用を制御するものである。したがって,その系統的な解析は多細胞体構築の機構を理解する上で計り知れない貢献をもたらすものと期待している。

 最近の生物学の潮流はより高次の生命現象に向かう傾向を示している。しかし,高次の生命現象も細胞運動や細胞接着,また細胞間相互作用なくしては成り立たない。これを理解するためには,細胞性粘菌, 線虫, ショウジョウバエなどのモデル生物はもっと活用されるべきである。これらのモデル生物のなかでも細胞性粘菌は,培養などの取扱が簡単で顕微鏡による観察が容易で特に細胞生物学の実験対象として最適である。遺伝子導入も簡単で,また半数体であるために形質転換による遺伝子のectopicな発現の影響を見やすいという特徴もある。GFPで標識した蛋白質のダイナミクスを観察したいと思っている研究者には一考の余地がある生物である。

 巻頭言に不釣り合いな内容になってしまったが,今はこのプロジェクトの完成とポストゲノムのことで頭がいっぱいの状態なのでどうかご容赦いただきたい。

なおプロジェクトの成果はWWWを通じて公開され,リクエストに応じてcDNAクローンを提供するサービスも行なっているので是非ご覧になっていただきたい。

(URL: http;/www.csm.biol.tsukuba.ac.jp/cDNAproject.html)


(1998-12-01)

日本細胞生物学会賛助会員