一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.9 August (1) Mr. Bean in Cell Biology

吉森 保 (基生研)

 体裁こそ遠足の栞のようだが、本会報は我々日本細胞生物学会会員のバイブルと言っても過言ではなく(よもや読んでいない会員がいるとは思えぬが、そのような不届き者は必ずや食中毒などの天罰が下ることになっている)、その巻頭言を依頼されることはこの上ない名誉である。当初、カントーゲンを固くて食べられないどこかの地方銘菓と勘違いしていた無学な私であるが、その原稿を依頼されてからは正座して読むようになった。しかし何故私のような雑会員が選ばれたのか不思議に思い、理由を推理してみた。

 A:人違い、
B:細胞生物学会は崩壊の危機に瀕しており人材が枯渇している、
C:マンネリ打破のため、細胞生物学界のミスタービーンと畏敬の念を込めて呼ばれる私を起用しトリックスター的効果を狙った、
D:学会指導部はその慧眼により、誰もまだ気付いていない天才と理想的中堅研究者像を私に見いだした。

 私は電話を前にしたペンギンのように謙虚なので理由Dを取りたいと思う。そしてその期待に応えるべく、無数にある私の長所の一部なりとも公表することで学会員、とりわけ若い迷える会員諸君のために望ましい細胞生物学者のありかたを提示しよう。

 長所1:独りよがり。上記の論理展開からも明らか。唯我独尊の精神は創造的天才には不可欠である。

 長所2:実験が下手。以前より周りの先輩・同僚から指摘されていたがそれは天才に対する凡人の嫉妬であると考えていた。しかしEMBL(ハイデルベルク)留学中に「実験が下手でしょうがないからハウプトシュトラッセ(観光客の多い通りの名)で似顔絵描きになる。」と隣席のイタリア人に冗談で言ったら、そこまで思い詰めるなと真顔で引き留められ本当に実験が下手かもしれないと思い始める。だが実験が下手なほうが頭を使って工夫するので研究にプラスであるに違いない。

 長所3:実験が嫌い。他人の研究に手は貸さずに口は出し論文の共著者となる優雅で知的な安楽椅子研究者を若くして目指そうとしたが叶わなかった。最近実験下手を見かねたボランティアの学生、技官の人たちに介護を受けるようになり、情けない状態だが理想に近づいたとも言える。

 長所4:他人に厳しく自分に甘い。相手が約束した時間に遅れたら激怒するが、自分がすっぽかしても気にしない。学生の指導は絶対しないようにし(のびのびやらせるため。そのためには無理してでもなるべく研究室を不在にしどこかで時間を潰す)、悪い実験結果が出たら君は研究者に向いていないと責め(真実を伝えることが思いやり)、良い結果が出たら私の指導の賜物であると言う(若い人は自分一人でやったと天狗になりがちで、それは本人のためにならない)。

 長所5:方向音痴。留学先が分岐しかつ方向性を持った極性上皮細胞の分泌経路の研究で有名なところだったので、先輩におまえは方向音痴なのに大丈夫かと指摘を受けた。しかし私は極性を持たない繊維芽細胞にも同様の分岐した分泌経路があるという大発見をなした。方向音痴のお陰である。

 どっちを通っても行き先の細胞膜は同じなので、方向音痴の蛋白質でも大丈夫なのだ。ちなみに最新の学説では方向音痴は人類における新たな進化の代償らしい(T. Yoshimori, personal communication)。

 長所6:研究がすべてではない。留学先にドイツを選んだのはファーバーキャステル社の100色の色鉛筆が欲しかったためである。研究のよろこびは、スタン・ゲッツのザ・ボサノバ・イヤーを聞きながらパスタを茹でるときのよろこびや雨の日に美術館でマティスの素描を見るときのよろこびや谷川俊太郎の新しい詩集を手に取るときのよろこびや海辺でただぼんやり夕日を眺めるよろこびや蒐集しているアヒルグッズがひとつ増えるよろこびの上でも下でもない。単にプロ意識がないだけ、よろこびのスケールが小さすぎるなどの声が聞こえるが(この頃私の悪口の電波が頭の中で聞こえる)、私の人生だ、ほっといてくれ。とにかく研究が全てではないが、他の大事なことと同じくらい大事であることに間違いなくそういう自分を自分で褒めてやりたい。なおアヒルグッズ蒐集は幼稚という悪口の電波も聞こえるが幼児性は言わずと知れた天才の必要十分条件である。(岡田節人先生だってイモリグッズを集めておられる。趣旨は全く異なるが。)

 長所7:血液型がRhマイナスのO型。最も細胞生物学者に相応しい血液型である。桜金造も同じらしいが絶対検査ミスである。サルに近いなどという非科学的流言飛語は断じて許してはならない。

 私の長所はまだ無数にあるが紙面の都合で割愛する。続きは別の紙上で行う。執筆しながら、もしかしたら私は研究者に向いていない、あまつさえ嫌な奴かも知れないという疑念が一瞬脳裏をかすめたが、気弱は学究の徒には禁物だ。実に示唆多い巻頭言であったが、凡愚ゆえに看過した人のためにこの文から得られる最も重要で深遠な教訓を最後に記す。「結婚式のスピーチと巻頭言は吉森に頼まないほうがよい。」


(1998-08-01)

日本細胞生物学会賛助会員