一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.6 February (1) 「論文は正しく書きましょう」

藤原 敬己 (国立循環器病センター研究所)

 海岸線の美しさをゆっくり楽しむため車を駐車場に入れ,過疎の漁港行きの乗合バスに乗った。しかし見事な眺めとは裏腹に,バスが走り始めて間もなく心の平静を失ってしまった。乗客のほとんどが老人で,乗ったところから2つ3つ先の停留所で降りるというパターンが多く,私のように町の営業所から終点まで行く者は少なかった。年輩の客の乗り降りには時間がかかり,少し走っては長い停車の繰り返しだった。でも私のいらいらはそうしたことに対してではなく,停車の度にピンポーンで始まる若い女性の録音案内に原因があった。そのテープは,バスの陰に他の車が隠れていることがあるから注意しなさいというようなことを述べた後,「道路は正しく横断しましょう」で終わった。初めはその女性の場違いな標準語が興ざめだったが,次第にメッセージそのものがいらいらの原因になってきた。

 道路を正しく横断するとはどういうことだろう。私は道路は(特に田舎では)安全に渡れればいいと思っている。正しい横断の意味が分からないのは,きっと私が日本人の常識を持ち備えていないからで,正常な日本人なら子供でもその意味を正確に理解するのだろう。このことは道路を渡るということには,亜流も我流もない日本中津々浦々統一された作法があるということだ。恐ろしい気がするが,それはさて置いて,日本人はなんと「正しい」ことの好きな集団であろうか。いたるところに正しいなんとかのスローガンが掲げられている。正しい乗降(駅のホーム),正しい喫煙(同),正しい運転・正しい速度(道路沿い),正しい挨拶・正しい返事(学校,交番),正しい駐車(?駐車垣内で),それに正しい笑顔(?!銀行)。最近,道路脇の掲示板で「道路はみんなのもの,正しく使いましょう」というのを見た。こうした正しさすべてについて,日本人の間にコンセンサスが本当にあるのだろうか。

 さて,歳のせいだろう,投稿論文の審査を頼まれることがいよいよ多くなった。研究が科学的に妥当な方法で行われていることは何が何でも必要だが,それだけで論文が通るわけではない。言うまでもなく論文にはスタイルがあり,例外も勿論あるが普通はIntroduction,Materials and Methods,Results,Discussionという具合に続く。論文書きを無難に進めるには,とにかく論文の基本体裁に従って作業するのがよい。Introductionでは研究の背景(関連分野のreviewや研究の必要性)や目的を論理的かつ簡潔に述べる。introductionが書き難いのは,自分の行った研究の学問的位置づけや評価ができていないことを意味する。Discussionは結果の解釈や意義,それから導き出される結論や示唆などについて主張するところで,研究者の頭脳的活動の場である。感心しない論文で思いのほか多いものに,DiscussionがResultsの言い替えに始終しているものがある。まともな考察ができないのは研究者の思考的怠慢があろう。しかし時には研究成果そのもののインパクトが小さいため,考察のしようがないことも考えられる。このような場合は研究計画を根本的に練り直すか,データを追加するなどのことが必要だ。また,立派なMaterials and Methodsに比べ,続くResultsの記述が極端に貧弱な論文もかなりある。技法などは記述し易いので詳しく書いたが,Resultsではほとんど何の説明もないまま,図や表のタイトル的記述だけで,1ページにも満たないという具合である。書きあげた論文でResultsがMaterials and Methodsより大幅に短い場合は,それで本当に良いかどうかを客観的に吟味すべきである。私はResultsにはstory性が必要であると考える。極端な言い方をすると,Resultsには推理小説に似た構成が望まれる。私が最も嫌う論文はIntroduction,Results,Discussionで同じ内容を3回読まされるもので,研究の目的や意義の記述がなく,これこれの実験からこれこれの結果を得たということを繰り返すやつである。この型も案外多く,私はこれを実験ノ-トの公開と呼ぶ。実験ノートは論文の素材で論文ではない。論文はその中にある情報を系統化し,他人が理解し易い体裁に整え,適当な自己主張を加えて公表するものである。

 論文を書く目的は,自分(ら)が行った研究の成果を社会に還元することである。特に公費によって行われた研究では,我々はその内容を正確かつ誤解なく公表する義務を負っている。そこで我々はできるだけ多くの人が理解できるように論文を書かねばならず,そのためには論文書きの標準作法を忠実に守り原稿を作ればよい。最後に,私も正常な日本人に成りたいので一言,「論文は正しく書きましょう」。


(1995-02-01)

日本細胞生物学会賛助会員