一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.4 August (1) “ある瞬間”の生物学

帯刀 益夫 (東北大学加齢医学研究所)

  自然科学が細部に分岐してくると科学者といえども,他の分野の学問がどのようになっているかfollowしなくなってしまう。物理学や化学の原理と同様のレベルで他の分野の科学者が知っておくべき生物学の原理は,(1)あらゆる生物は細胞で出来ている。(2)genetic codeはuniversalである。(3)生物は進化する。の3つであるという。生物学の究極の目標は無生物から生物(=細胞)を作り出すことであろう。地球の進化の過程で無生物から始原生物が生まれたのはたった一回きり(何回もあったとしてもごく限られている?)であろうが,DNAが先かRNAが先かと言う議論はリボザイムの発見でRNAに軍配が上がっているようであるが,それはともかく,核酸や蛋白などが集合して自立的増殖をまさに始めようとしている始原生物の誕生の瞬間に立ち会う事ができれば,そして自分の手でそれらを混ぜ合わせて細胞が動き出す瞬間を見る事が出来れば細胞生物学者としては本望であろう。しかし,きっとほとんどの生物学者は(私はもちろん)無生物から生物(=細胞)を作り出すことができるとは思っていないだろう。それが出来るまでは,神話の世界が存在し,神の存在を否定できない。遺伝子工学,細胞工学,発生工学の進歩も,結局,生きている細胞の存在の上に成り立っており,細胞をmodifyしているにすぎない。最近の生化学や分子生物学の成果から,DNA複製や蛋白合成の基本骨格に加えてシグナルトランスダクションや転写制御,細胞周期など多数の役者のダイナミックな働き方を図示出来るようになり(最近,雑誌やパンフレットなどで,あらゆる因子をまとめて記載したものが多くなり,自分の扱っている分子が隅のほうにちょっと記載されているのを見るのは悲しいものであるが),あたかも細胞の生きている状態を分子の運動形態としてイメージ出来るようになったという錯覚をもつが,因子間の反応のシュミレーションをどこまでも続けていくだけで,研究者の知りたいことを迫求していくと,ますます目標から離れて行き,細胞丸ごとにはならない歯がゆさがある。最近の超能力や心霊などの研究に見られる神秘主義(?)の台頭もうなずけ無くはない。いずれにしても,研究者の知りたい事と知りうる事が解離してきている事は事実であり,生化学者や分子生物学者では出来ない(問わないというのが正確か?),「生物がどのようにして誕生し,どのようにして生きているか?」を真面目に考えて見る事ができるのが細胞生物学者ではないかと思われる。

  研究成果を絵にすることは,他の研究者の理解に役立つが,そのためには物語性が必要である。むかし東京でドラクロアの展覧会を見たとき,彼の絵のいくつかが,“凝縮されたある瞬間”ともいうべきものを表現していると感じた事があるが,彼の“凝縮されたある瞬間”は,歴史の必然(というと大げさであるが,そのようなもの)を表現しているのだろうが,科学にあっては,“ある瞬間”は“物質の量的変化が質的変化にかわる瞬間”ということになろう(そう言ってしまうと詰まらなくなるが)。そのような瞬間は生物学ではいっぱいあるように思われる。無生物から細胞が誕生する瞬間ほどでなくても,この“ある瞬間”に遭遇する体験を持ちたいものである。私は細胞の分化について研究しており,とくに分化の決定が起きる機構に興味があるが,物語性を重視して,細胞の運命決定ということにしている。細胞の分化の決定はstochastic(簡単に言えば確率論的に決まる)に起きることになっているが,確率論をどのように取り入れれば良いか分からないが,ホーキングも宇宙論に不確定性原理を導入せよと言っているし,なにか考えなければ行けない事だけは確かである。最近は,細胞の死の決定も分化や増殖と同じ次元で語れるようになってきたので,ハムレットの呟きや,落語の「死神」の主人公が死神を騙したために,自分の寿命のロウソクの炎が消える瞬間を見る話しなど妄想を逞しくして研究する事にしている。

  細胞分化の研究者は,細胞や組織の分化機能,特異性が違うために,扱っている細胞系が違うと研究目的や方法論も違うために分断化され,発生学者が材料が違っても,お互い共通の土俵で議論出来るのと比べると,まるで話が通じないことが多いし,他の仕事に興味を持てない事もある。たとえば血液細胞といっても免疫系と赤血球とでは出て行く学会も違うし,交流も少ない。むかし私と一緒にいた学生が“分化は文化である”と研究室の壁に張っていた男がいたが,今になって考えれば,これはだじゃれではなく,真実である。異なる細胞分化系でも運命決定機構の絵を描けば,登場する役者は違っても同じ絵になると信じているが,しばらくは“共通語”を探し出すのに時間が掛かりそうである。今,世界中で異民族(=異文化)間の紛争が絶えず(社会主義思想がこれを凌駕していると思われたが),これを統合化する方法論を見いだせないでいるが,身体の中では異文化細胞が統合化されており,細胞分化の研究者は,異民族間紛争の完全な解決を見る前に,“共通語”を見いだせるかもしれない。細胞生物学会はそのような場として最も適当な場であるはずであり,“共通語” を見つけることが,多細胞体系の統合化の原理を導き出す原動力になり,ひいては異文化の統合化(国際化)の方法論につながらないかと淡い期待を抱いている。


(1993-08-01)

日本細胞生物学会賛助会員

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