一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.3 April (1) 「学際的研究」ということ

佐藤 英美 (長野大学:名大名誉教授)

 日本で学際的研究という言葉が認知されたのは,戦後間もない昭和22〜23年頃からである。名古屋大学で物理の伏見先生や医学部の勝沼先生等が中心になって,若手研究者や学生主体に開かれた境界領域討論会が1つの契機となった。旧い講座制の殻を破り,学部・学研の枠を取払って風通しを良くし,広い基盤にたった共通の研究に自由に取組むという学問の姿勢は,新鮮で魅力的であった。この風潮は大きな反響をよび,次々と生物物理学,細胞・組織化学,分子生物学,分子遺伝学等の学際的研究共同体を生むことになる。終戦当時,日本の学問は欧米のそれと比べて明らかに20年遅れていた。それを取戻し,同じレベルに追いつくことに当時の若い研究者達は精根を傾けた。昏飢えて貧しかったが,燃えるような情熱がそれを支えた。ほぼ半世紀が過ぎて老年となった私達は現役から去り,新しい世代と交代している。だがチョッピリ苦味が残っている。確かに日本の研究レベルは上り,設備は当時と比較にならぬ程充実し,研究者人口も増えた。ところがここに来て,再び学問の細分化・分極化が起りはじめている。勿論,高度に,そして急速に発展した分野では特殊な専門技術と思考体系が要求される。そのために先端技術のみに習熟した異能集団による分業化がすすむ。私は,その流れ自体に異論はない。ただ危倶するのは,それが共通の研究目的に統合され,1つの理念になった完全な相互理解に基く共同研究体制として運営されているのかどうかという点である。科学とは創造であり,既成概念の否定が新たな進歩を促す。若者が安易に組織の一部に参加し,自由な発想と好奇心が放棄されてはいないか,そして探求への情熱の火が作為的に消されてはいないかということを憂えているのである。私は,学際的研究を大胆に推進した最初の先達は、ルイ・パストゥールではないかと考えている。彼の発想は常に斬新であり,実験は巧妙精緻に計画され,結果は他の反撥を許さぬものであった。しかも彼は信念を貫く仮借のない論争家でもあった。伝記を綴る気持ちはないが,少し業績を見直してみたい。′ドゥエ出身の彼がエコール・ノルマールで学んだのは,数学・物理・化学である。彼の学界への初登場は,ラセミ体である酒石酸の光学的異方性にういてであり,偏光面の右又は左への回転は,酒石酸分子の炭素原子の不斉配列に依るという仮設の提起であった。1848年,パストゥール26才の時である。彼は分子の不斉性を作り出しうるのは生命活動の特質と考え,その実証へとのめりこむが恩師ビオーの忠告を容れて実験を一時中止し,リール大学へ移る。そこで手がけたのが乳酸発酵およびアルコール発酵であり,この研究の転換が近代徴生物学の端緒を拓いた。そして1861年,遂に嫌気性酪酸菌を発見する。


(1992-04-01)

日本細胞生物学会賛助会員