一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.21 November & December (1) 『日本流』バイオロジーはあり得るか?

杉本 亜砂子 (東北大学大学院・生命科学研究科)

 私自身はまったくの運動音痴なのだが、スポーツTV観戦はカテゴリーを問わず好きである。2010年の活躍で特に印象に残った日本人スポーツ選手は、オリンピック・世界選手権で活躍したフィギュアスケートの浅田真央・高橋大輔、世界体操2連覇の内村航平、ドイツサッカー・ブンデスリーガで活躍中の香川真司、40歳をむかえたプロテニスプレーヤーのクルム伊達公子、連続10年メジャーリーグ200本安打およびゴールドグラブ賞のイチローなどである。これらのスポーツの発祥の地はヨーロッパ・アメリカであるにもかかわらず、彼らはその世界で『日本流』を前面に出し、さらに、そのことで高く評価されているように見える。たとえば、体操の内村選手が「日本の伝統である『美しい体操』をさらに極めたい」とインタビューでも常に言っているように、日本チームの体操は確かに力業だけに頼らず見た目にも美しい。イチローの10年連続200本安打についてのアメリカのネットニュースには、「イチローは日本で野球を学び、日本のリーグでプレーしていたからこそ、あの独特な打撃・守備・走塁法を身につけたのだ。アメリカで育っていたら今のイチローはなかったであろう」という趣旨のコメントが複数のアメリカ人ファンから寄せられていたことからも、野球発祥の地での日本野球の評価の高さがうかがわれる。

 では、バイオロジーには『日本流』はあるのだろうか。私たちの思考回路は生まれ育った風土や社会習慣の影響をうけながら形成されていることを考えれば、バイオロジーを進める上でも日本流があってもよいだろうと思う。日本の豊かな自然、徐々に変化する季節、その自然環境を取り入れるような日本家屋といった環境は、バイオロジーに必要な『自然を視る目』を養うのに適しているように思える。また、勤勉が美徳とされる伝統的価値観も影響するだろう。私の勝手なイメージでは、アメリカのバイオロジーは『パワーと勢い』、ヨーロッパのバイオロジーは『哲学的』といったキーワードが主思い浮かぶのだが、日本流バイオロジーを表す言葉は何だろうか。私が一つ思いついたのは『緻密』という単語だが、他の方はどう思われるだろうか?

 もしも『日本流』バイオロジーがあるとすれば、それは教育によって受け継がれていくはずである。「これが日本流バイオロジーだ」などと口に出さずとも(意識していなくても)、教師から生徒へ、先輩から後輩へと伝わっていくものだろう。そうなると心配なのは、近年の日本の教育システムの変容である。小中高レベルでは数年ごとにカリキュラムが変更され、2010年ノーベル化学賞を受賞された根岸英一博士が「私は日本の受験地獄の支持者だ」という表現で賞賛した、学問の基礎をたたき込んでくれる詰め込み教育も今は昔。大学教員は法人化・予算削減・中途半端な任期制の影響で疲弊しきっており、誰もが追い詰められながら長期的なビジョンを持てずに研究をせざるを得なくなっている。このような状況では、長い年月をかけて『日本流』バイオロジーが醸成されてきていたとしても、それが継承されていくのは甚だ困難であろう。

 2000年以降に日本のフィギュアスケートが急激に強くなったのは、全国から有望なジュニア選手を集める合宿を実施し、才能ある選手を各地のコーチたちが協力しながら組織的に育成するシステムを1990年代に確立したことが大きな要因だそうだ。今日もグランプリシリーズで高橋大輔と織田信成が金・銀獲得、女子の方もショートプログラムが終わった時点で16歳の村上佳菜子が二位とのこと。10年、20年先を見据えた人材育成戦略とその継続が今、花開いているということなのだろう。ますます隆盛を極める日本フィギュアスケート界を見ながら、『日本流』バイオロジーの先行きを不安に思う。


(2010-12-28)

日本細胞生物学会賛助会員