一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.21 September & October (1) 上皮細胞生物学から免疫細胞生物学へ:流れ者の想い

濱崎 洋子 (京都大学大学院医学研究科)

 望外の喜びの後に難行が待っていました。久しぶりに参加した先達ての細胞生物学会で若手最優秀発表賞を賜り、副賞にiPadを頂いて大喜びしたのもつかの間、もう一つの副賞として本誌の巻頭言という大役を仰せつかることになりました。今までの巻頭言を読み返してあれこれ頭の中で考える内に締め切りは差し迫り、これまでの執筆者である諸先生方から大きく外れた私に気の利いた文章は期待されないだろうとここに至って開き直り、学生時代に思っていたこと、最近思っていること、懐かしい場所に久しぶりに戻って感じたことを、率直に述べるしかないと思いこの文を綴らせて頂きました。

 私は大学院時代、京都大学の故月田承一郎教授のもとで上皮細胞の細胞生物学を学びましたが、進学先を探していた当初は、正直に言って上皮細胞やタイトジャンクションのバイオロジーに特に興味があった訳ではありませんでした。ただ、会社を辞めてアカデミックに、純粋にサイエンスができる場に戻りたいと強く思っていた私にとって、初めて月田さんに出会った時のドキドキした気持ちは今でも忘れられません。“僕は、Natureや、Cellや、 Scienceや、そういう雑誌に載るかのらないか、そのものにこだわりはありません。こだわらないことに、こだわっているつもりです。本質的な良い仕事は、必ず残るものだから。だから、もしそういう雑誌に出したい!というようなモチベーションが一番なら、僕のラボは向かないです。それから、学位がとれるかどうかも、この世界でやっていけるかどうかも、君次第です。”と、静かに、でもきっぱりと仰いました。この言葉と雰囲気に、ううむ、と魅了されて月田研への進学を決めたわけです。

 最近は、とかくいろいろなものを与え、きらびやかで魅力的な話をすることで学生を惹きつけなければという風潮があり、学生もそれを望んでいる節があるように思います。しかし、どんな甘い言葉よりも、パソコンや奨学金がもらえるかどうかよりも、凛とした信念を持った師や仲間と共にサイエンスができる環境こそが、学生にとっても、また指導する側にとっても、そしていいサイエンスをするために、何より重要で贅沢なことだと私には思えます。大学院時代を振り返ってみると、たとえ自分がうまくいかない時も、仲間がいい仕事をしていく過程を間近に見ることは極めてよい勉強になりましたし、自分の足りない部分もよく認識できました。なるほど、こうやって道を開いていくのか、、すごいな。多くの挫折とともにこういった思いをしたことは今考えると有難いことでした。損得勘定無くサイエンスに集中し、結局自分次第なのだ、いうプロ意識を気付かないうちに植え付けられたようにも感じます。

 卒業間近、何となく気になり始めていたことがありました。それが、現在の研究対象である胸腺という上皮性の免疫臓器です。胸腺は、他の免疫関連組織と異なり唯一上皮細胞により構成されています。何故様々な免疫担当細胞の中でT細胞だけが上皮組織で分化発生しなければならなかったんだろう?胸腺上皮細胞はそれまで私が散々観てきた上皮細胞と異なり、細胞シートを形成することなく突起を伸ばして三次元網目構造を形成し、T細胞分化のサポートに特化しています。細胞生物学的視点で考えるとなぜ上皮がこんな形態になれたんだろう?そうした単純な疑問が湧き上がっていました。

 縁あって卒業後すぐに助教として赴任した京都大学免疫細胞生物学教室で周囲の免疫学者たちに早速上述の疑問をぶつけてみたところ、さあ、そう言えば何でだろうね、考えたこともなかった、と異口同音の答えが返ってきました。そして初めてのミーティングで、“細胞を染めました”とFACSのデータがでてきたのに、ハッとしたのを今でも覚えています。自分の中では写真が出てくるのが当たり前になっていたのです。まずはFACSで細胞を観る免疫学の人、まずは写真で観ようとする自分、観えているモノは絶対に違う。免疫学の中で自分にしか観えない何か大事なことがあるはずだ、と一人でワクワクしていました。その反面、全く異なる分野でいきなり助教になるというのは容易なことでなく、大きなプレッシャーと手探り状態の不安感に押しつぶされそうになることも度々ありました。しかし、背中を押してくれた教授と、何も知らない助教にも笑顔で実験手技を教えてくれた当時の学生さん(本当に出来た若者達でした)のお蔭で、苦しい時期を何とかくぐり抜けることができました。そうした日々の中から生まれた研究成果を今回発表させて頂いたのですが、そんなワクワクと struggleが少しでも伝わっていたら嬉しいです。

 今回久しぶりに細胞生物学会に戻ってきた一番大きな目的は、また改めてこの感覚を得るためでした。FACSの世界に慣れた自分を、もう一度細胞生物学という原点に置いてみよう、また、今の自分の感覚は細胞生物学の人にどのように映るのか、フィードバックを得たいと考えたのです。懇親会で“そもそもあれを上皮と呼ぶこと自体がおかしいんじゃないか”、と細胞生物学会でしかできない真摯な議論(この点はまさに私が数年間渇望していた議論でした)ができたことは、また私の中に何か新たな風をもたらしてくれたように思います。細胞生物学会の良い点は、大きな集まりでない故にお互いの距離が近く、また細胞生物学という括りで様々な分野の研究者が集まっていることにあると思います。現在免疫学に携わっている私も、このサイズなら嫌でも(嫌ではないのですが)線虫の話題を耳にすることになります。これが、予想以上に面白く感じられたのです。おかげで、運動不足だった部分の筋肉をぐいと延ばしたような、使っていなかった神経回路が突如発火するかのような瞬間が何度かあり、これは今回の一番の収穫でした。細胞生物学はその名の通り、様々な生命現象を細胞レベルで扱う学問領域であり、これはつまり免疫学のみならず、病理学、神経科学、すなわち各々の学問領域を縦の関係とするならば、それを横で繋ぎうるもの、そして大きく発展させうる土台だと思います。様々な学問分野の垣根を越えて、細胞生物学的という観点から広く深いdiscussionができる会という特色がより鮮明になれば、一層面白い学会になると思います。一流の人は別の学問分野であってもよい研究はよいと分かるのもので、これはアカデミックの人間としてのインテリジェンスの一つだと思いますが、こうした教養、知性を磨くにも格好の場になるのではないでしょうか。

 今、私も数人の学生さんと一緒に仕事をするようになり、彼らに対して、自分が多くの影響を受けた諸先輩・先生方のようになりたい、と思いつつ、その想いを届けられている自信はまだありません。ただ、最近やっと自分の進みたい方向性が少しイメージできるようになり、FACSという細胞をばらばらにする手法が大きく貢献した免疫学の流れの中で、これからは彼らと共に組織ありのままを自身の目で観て考える“免疫細胞生物学”を中心に据えて、免疫難病の解決につながる未知の本質的な法則性を一つでも多く見出していきたいと思っています。

 最後になりますが、大会長の目加田英輔先生、そして免疫学分野で何の業績も無い若輩者の挑戦を信じてエンカレッジして下さっている京都大学免疫細胞生物学教室の湊長博教授の懐の広さに、この場をお借りして心より御礼申し上げます。


(2010-10-26)

日本細胞生物学会賛助会員