一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.20 January (1) ノンフィクションの魅力

大杉 美穂 (東京大学医科学研究所)

 大学院生の頃、人に勧められて「功名が辻」を読んで以来、司馬遼太郎作品の大ファンを自称しています。ご存知のとおり、司馬作品の大半は有名無名の実在した人物を主人公にした歴史小説です。司馬遼太郎は作品を書くにあたり徹底的に資料を集めて調査・考証を行ったそうで、彼が作品の構想を思いつくと関連の書籍が神田神保町の古本屋からすべてなくなったという有名な逸話もあります。もちろん、歴史小説ですから歴史書とは違い、史実に基づきつつも作者による豊かな肉付けがあるわけです。しかし、その肉付けが徹底した調査・考証から得た史実の骨組みの上になされているため、また、作品中あちこちに登場する史実エピソードの効果とも相まって、読者は “司馬史観”と言われる独特の歴史観を楽しむことことになります。研究で疲れた夜、私はしばし現実を忘れて司馬遼太郎ワールドに入り込み、頭を休めることがあります。

 私たちが日々の研究成果を発表するために書く論文はいわば、歴史小説に対する歴史書の立場です。論文にはフィクションがあってはならないし、仮説の域を出てしまうような勝手な肉付けはreviewerやeditorに指摘されて削られます。けれども、論文の構成について悩んでいるときなど、ふと、論文に書ける仮説よりももう少し”妄想”に近いようなアイデアが浮かぶことがあります。さまざまな方向からつっこんで解析した事象についてであればあるほど、また、実験結果と真剣に向き合った時ほど、そのアイデアはより魅力的に私を捉え、“これって本当に事実なんじゃないの?”なんていうささやきまで聞こえてくることがあります。現実はそう甘いはずはないのですが、研究所からの帰宅途中、自転車をこぎながらその”妄想仮説”について考えを巡らせる時間はなかなか幸せなひとときです。大抵の場合、妄想仮説は検証の結果、“事実ではない”となり、歴史小説のようにストーリーを構築する題材になることなく、ゴミ箱行きとなります。しかし、ごく稀に、否定的な結果と共に私などの頭からは思いつきもしないような、妄想ではない、もっとずっと面白い”事実”が見えてくることがあります。そんなとき私は、“これだからサイエンスはやめられない!”と思うのです。


(2009-01-16)

日本細胞生物学会賛助会員

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