一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.17 July (1) 細胞生物学異聞 “見えるもの”と“見えざるもの”

田中 啓二 ((財)東京都臨床医学総合研究所)

 「百聞は一見に如かず」という格言がある。この格言は、科学の世界における‘観察’の重要性を暗示しているかのようである。今日は知らないが、私の中学生の頃の生物の授業の記憶は、なんと言ってもカエルの解剖である。その時の印象は、途轍もなく深い。歴史を遡れば、江戸時代、小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見た杉田玄白らは、人体を正確にイメージすることができたと思われる。そのことの清冽な衝撃が西欧の医書 『ターヘル・アナトミア』を翻訳して『解体新書』として出版させたと後世の史家は記述する。これらは、見ること即ち観察することの重要性を宣伝して余りあると言えよう。この見ることの重要性は、現代の科学にも通じる。例えば、ATP合成酵素F1の回転やミオシンなど分子モーターの動作原理などの研究を顧みれば、一目瞭然であり、現在流行の1分子計測技術や蛍光イメージング技術の発展がもたらした科学的功績は、計り知れないものがある。分子生物学の登場は、かつてマイナーな学問であった生物学を、今日の生命科学という大きな学問に変貌させた。実際、“見ること”の技術革新も分子生物学の発展と不可分に成長し、細胞や組織の形の観察から分子の立体構造や動態観察に迫るまでに至っている。現在、見ることの科学は、細胞生物学の世界を席巻している。

 私も“見えること”でブレイクスルーした小さな経験を幾度か重ねてきた。私の研究しているプロテアソームは、巨大で複雑な多成分複合体である。約20年前の話であるが、この酵素を日本生化学会大会で初めて発表したとき、私の講演が終わるなり「その不純物にまみれた汚いスライドを消したまえ!」と高名な座長の先生に叱責されたことがある。そのスライド、即ちプロテアソームの二次元電気泳動写真のスライドは、数十のスポットが蛋白質染色されていた。生化学全盛時代の当時、精製酵素標品としての定義に当て嵌まらなかったためか、このプロファイルが不興を被ったのである。当時、プロテアーゼは一つの蛋白質であることが常識であったことを考えれば、数十のサブユニットからなる複合体型プロテアーゼの発見という報告に対して憤怒の対応もやむを得なかったのかも知れなかった。しかしこれらの批判を一切封じたのは、プロテアソームを複合体として電子顕微鏡で撮影した一枚の写真であった。最近でも類似の経験をした。吉田雪子研究員が糖鎖を識別するユビキチンリガーゼ(Fbs1)を発見した後の顛末である。小胞体で生合成された糖蛋白質の立体構造の形成とその異常の識別に糖鎖が決定的な役割を果たしていることはよく知られている。CalnexinやCalreticulinによる良品の認識やEDEMによる不良品の細胞質への逆行輸送は、いずれも糖鎖を識別する分子シャペロンが主役を握っている。そして細胞質へ遺棄された不良糖蛋白質の一部はFbs1の働きでユビキチンが付加されプロテアソームで分解される。このERAD(小胞体関連分解)経路での糖蛋白質の処理におけるFbs1の作用は合目的であり、仲間内ではユニークな酵素の発見として大きな関心を集めた。ところが、ユビキチン領域の高名な学者の総説において、吉田論文の独創性を称えながらも「話が出来すぎている」と信用できないかのような批判が加えられた(当時、ユビキチンリガーゼによる認識機構としてはリン酸化修飾と水酸化修飾以外、全く知られていなかった)。このうますぎる話に信憑性をもたらしたのは、X線結晶構造解析で得られた糖鎖を結合したFbs1複合体(名古屋大学・水島恒裕博士らとの共同研究で解明)の写真であった。

 新しい概念が市民権を得るためには、計り知れない困難を伴うことが多いが、私の経験からも「百聞は一見に如かず」の効力は抜群であり、この恩恵を甘受した者の一人として、この格言に讃辞と敬意を表したいという思いは強い。さて「百聞は一見に如かず」という格言を英訳すれば「Seeing is believing」ということになるが、この格言が“観察の科学”万能主義を標榜しているとすると、個人的には少なからず違和感を持つと言わざるを得ない。細胞生物学の神髄が「見えること」即ち「観察すること」にあることは、否定しない。しかしながら敢えて言えば、私は“見えざるもの”の解読を目指すことに生命科学の神髄があるのではないかと思っている。“観察の科学”至上主義や“先端技術”万能主義が科学の本質であるとすれば、無尽蔵に研究費を注ぎ込んだ巨大研究プロジェクトが全ての勝利を獲得する確率は非常に高く、個人では決して太刀打ちできないかもしれない。しかし、この発想で果たして個性的で独創的な研究は生まれるのであろうか?ノーベル賞の歴史を繙いてみると、二十〜三十代のしなやかなで若い時代の研究によって、この至上の褒賞を得ている場合が多いと言う話は、巷間に喧伝されている。それは歳月を重ね“見えるもの”を如何に膨大に蓄積しようとも褒賞に値する発見に繋がらないことを暗示している。誇張して言えば、“見えざるもの”への飽くなき挑戦から新しい仮説を提唱し、後に“見えるもの”の解析によって証明されるという逆プロセスを経ない限り大きな感動は得られないのではないかと思われる。一例は、1957年に発表されたバーネットのクローン選択説である。この仮説の素晴らしさはMHC, TCR, 遺伝子の再構成など何も存在しなかった時代(DNA二重螺旋モデルの提唱は1953年)に免疫システムにおける多様性の原理を見通した点にある。後世の分子生物学・分子免疫学による免疫多様性の研究は、バーネットの仮説を証明する通史に過ぎなかった。バーネットは“見えるもの”から思考して“見えざるもの”に到達し、一級品を創り上げたのである。かつて自然主義という芸術運動が文学や美術の世界を席巻したことがあったが、この芸術運動は長続きせず忽ち衰微した。芸術家の感性は“見えるもの”の忠実な描写に至高の芸術性を見いだせず“見えざるもの”を表現することを目指したのかも知れない。この芸術運動の栄枯盛衰は、科学においても一つの警鐘と受け取るべきではなかろうか? “見えるもの”だけが至高であるとする科学よりも“見えざるもの”に挑む精神をも培うことが、独創的な研究を創生することにおいて必要ではあるまいか?


(2006-07-24)

日本細胞生物学会賛助会員