一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

2016-10-27 大隅良典博士の功績と憂愁

田中啓二 (東京都医学総合研究所)

大隅良典栄誉教授(東京工業大学:以下、大隅博士と記す)が2016年度のノーベル生理学・医学賞を「オートファジーの仕組みの発見」のテーマで単独受賞した。私は大隅博士とは、四半世紀以上に亘る長い間、同じタンパク質分解の研究領域で切磋琢磨してきた盟友であり、また個人的にも知己ともいうべき親しい関係を継続的に維持してきたので、大隅博士の今回の栄誉は、歓びに堪えない思いで一杯である。心より敬意と祝意を表したい。本稿では、大隅博士との交流(エピソード)などを想起しながら大隅博士のノーベル賞受賞についての(私の個人的な)感想を記すことにする。

私が体験した「ノーベル賞発表」報道の騒動記

本論に入る前に「ノーベル賞発表報道の凄まじさ」について、「これがノーベル賞の威力」と私が直に感じた驚きの顛末について、少し長くなるが、逸話として記しておきたい。2016年10月3日午後4~5時頃から、私の所長室には、NHKや朝日新聞を含む複数の報道機関の記者・カメラマンたちが集まってきていて、“その時”を待っていた。彼らの取材目的は、表面的には「私も候補者の一人であるため」と言いながら、実は大隅博士のノーベル賞受賞が濃厚との情報(真偽のほどは定かでないが)をキャッチしており、受賞決定の場合に私のコメントを迅速に取りたいという本音が、待ち時間中の彼らとの会話から露わに透けて見えた。当日、夕刻6時頃、私や記者さんたちのパソコンの画面には、カロリンスカ研究所Nobel Forum(ノーベル賞に関わる講演会などを開催する格調高い小さい会議棟:その一階の小さな講堂でノーベル生理学・医学賞などが発表される)からの中継映像がU-tubeを通して時々刻々とリアルタイムで報じられており、その動きを、私たちは静かに見守っていた。Nobel Forumでは、最後の委員会が10月最初の月曜日の午前8時頃から二階の円卓会議室で開催され、10時前後に9月の会議で残されていた2~3の候補者の中から最終的に約20名の委員(円卓に並んでいる椅子の数からの推量)の投票で「This year’s Nobel Laureate」が決定される。そして担当者から直ちに電話で受賞者に伝えるという仕組みになっている(これは受賞者が事前に漏れないという秀逸な制度である)。日本とストックホルムとの時差7時間を考えると、日本人が受賞した場合、当日の午後4~5時頃(会議が紛糾すれば連絡は遅延するが)に、本人に電話が届くはずである。この事情は、2年前、Nobel Lectures Seriesの講演に招聘されてNobel Forumを訪問した時、担当のTatiana Goriatchevaさん(ノーベル賞発表時に司会をしている女性の事務責任者)から直に聞いた話であるので、間違いないと思われる。同日、午後6時半過ぎ、その時は訪れた。NHKに「大隅良典博士:ノーベル賞受賞」のテロップが流れると、マスコミからの問い合わせが殺到、私の携帯電話、研究所の電話が鳴りっぱなしになったので、研究所の広報担当者に交通整理(10~20分間隔でのインタビューの時間調整)をしてもらった。共同通信からは、約30分程度、受賞の意義などについてかなり突っ込んだ説明を求める電話があり、私のコメントを記事にして直ちに国内外に配信する、ついては、書き上げた原稿をメールで送るので、一刻も早く点検して欲しいとの切迫した依頼があり、正直、驚いた(後日、数多くの地方新聞に私のコメント記事が報じられたことを知った)。NHKからはスタジ入りを要請されたが、止めどない電話攻勢のため受諾できる状況になかったので、即座に断った(質問を受けながらNHKのニュースを見ていると、水島昇さんが出演していて、軽妙洒脱にコメントしていたので、流石と思った)。午後8時過ぎにはTV番組3社が来研し、インタビューの申し込みがあったが、3~4時間、喋り続けたために疲労困憊となっていたので、個別に応じることを断り、カメラを回しながらの3社同時会見となった。その後、午後10時頃から、朝日新聞から、毛利衛氏(日本科学未来館館長)・福永伸一氏(青山学院大学教授)・水島昇氏(東京大学教教授)らと大隅博士を交えての電話受賞座談会をするので、電話に出て欲しいとの依頼が、詰めていた記者から申込まれた(この座談会の様子は、翌10月4日の朝日新聞朝刊にほぼ1ページを割いて大々的に掲載された)。その後も断続的に電話が掛かってきたが、iPhone をOFFにして深夜に帰宅した。この喧騒は、発表当日で終了かと思っていたが、翌日も、その翌日も多数の取材電話や訪問があった。この取材が続いた理由には、一つの面白いエピソードがあるので、本稿の末尾に記すことにする。私以外の友人たちやお弟子さんたちの多くもこの騒動の渦に巻き込まれていたことが、様々な報道を見て首肯した。実際、10月7日(金曜日)には、私や大隅博士との共通の友人である永田和宏教授(京都産業大学タンパク質動態研究所所長)から、マスコミ取材で仕事にならないとの“ぼやき”の電話があったが、私と同様、親しい畏友の受賞に心底から喝采をあげている様子が言外に窺われた。一友人に過ぎない私の周辺ですら、この有様であったので、勿論、大隅博士ご本人は、それこそ「てんてこまい」で「もみくちゃ」にされたのではないかと、彼の体調を少なからず心配した(永田教授も同様な見解であった)。私も深夜2時近くにベッドに潜り込んだが、夕方の興奮も手伝って夜更けまで寝付かれなかった。実際、大隅博士は(発表数日後に会った時の話から)、当日は「まさに一睡もできなかった」とのことであったが、宜なるかなと思われた。その後、今日(10月20日)に至る間、折に触れて大隅ノーベル賞の関連報道は、洪水のようにマスメディアを賑わせている。この凄まじい報道合戦もノーベル賞単独受賞という迫力であろうか、と感嘆した。さて10月6日、東レ先端材料展シンポジウムが東京国際フォーラムで開催されており、私や岩井一宏教授(京都大学)、そして大隅博士の共通の親しい友人であるイスラエルのA. Ciechanover教授(ユビキチン依存性のタンパク質分解機構の解明で2004年ノーベル化学賞受賞)が、偶然、講演者として招聘されていた。A. Ciechanover教授は、毎年、ノーベル委員会に大隅博士の単独受賞を強く推薦していたこともあり、大隅博士が表敬訪問のために会場を訪れた(写真1)。分刻みの超多忙であった大隅博士が、兎も角、貴重な時間を割いてCiechanover博士と面談できたのは僥倖であった。さて12月10日は、ストックホルムでの授賞式である。日本からは、多くのマスコミの皆様方が取材に行かれ、その様子を大々的に報じることになると思われる。私は、大隅博士より授賞式に招待して頂いたので、今度は取材攻勢を受けることはなく、安堵しているとともに、世紀の式典と晩餐会を大いに楽しんでこようと思っている。前置きが少し長くなったが、これから本論に入る。

(1)功績

大隅博士の卓越した研究業績については、同博士が育成されてきた多くの弟子・後継者たちやオートファジー研究領域の仲間たちが随所に執筆されると思われるので、本稿では業績の一つ一つを詳らかにして称賛することは差し控え、なぜ単独受賞であったのかを、私なりに繙くことで、その功績の核心に迫りたい。私は、ノーベル委員会が大隅博士の単独受賞の根拠として4編のKey Publicationsを挙げたことに、至上の評価を与えた原点があるように感じた。それらは、次の4つの大隅博士のオートファジー黎明期の論文である。

(1)酵母のオートファジーの発見に関する論文(J Cell Biol. 1992)
(2)網羅的な酵母のオートファジー遺伝子の分離に関する論文(FEBS Lett. 1993)
(3)翻訳後修飾分子Atg12によるユビキチン様のタンパク質共有結合反応システムを発見した論文(Nature 1998)
(4)翻訳後修飾分子Atg8によるユビキチン様の脂質共有結合反応システムを発見した論文(Nature 2000)

オートファジー(autophagy自食作用:ギリシャ語に由来auto=self、phagy=eat)という現象の発見については、1960年前後のC. de Duve(1955年、多数の消化酵素を含んだオルガネラであるリソソームを発見、1974年ノーベル生理学・医学賞を受賞)の研究に遡ることができる。リソソーム(酵母の液胞)は、細胞内物質をengulf(飲み込む)した小胞(オートファゴソーム)と融合して内容物を消化すること、そしてこの小胞が飢餓に応答して激しく増加することから、オートファジーは細胞に備わった栄養素確保のための究極の生存戦略であることが示唆された。オートファジーという学術用語は、このオートファゴソームの形成からリソソームによる消化に至る一連の現象を包括する用語として名付けられた。オートファジー研究は、C. de Duveによる発見以後半世紀を遥かに超えた長い歴史を有するが、今年のノーベル賞単独受賞を踏まえて、私はその歴史を「大隅以前:pre-Ohsumi-era」と「大隅以後:post-Ohsumi-era」に大別できると思っている。その境は、上記の論文(1)と(2)が発表された1992~1993年頃である。このように考えると、pre-Ohsumi-eraは、30余年であり、post-Ohsumi-eraは現在進行中であるが、丁度今、四半世紀を過ぎようとしている。pre-Ohsumi-era時代のオートファジー研究は、主に電子顕微鏡を用いた観察解析に終始した(他に適切な解析手段がなかった)が、形態観察以外の生化学的研究としては、ラットを用いたGE. Mortimoreらの灌流肝臓実験、分離肝細胞を用いたP. Seglenおよび培養細胞を駆使したJF. Dice(オートファジーの一部であるシャペロン依存性オートファジーの発見者)たちの細胞生物学研究が特筆されるが、いずれもアミノ酸・タンパク質代謝に対する飢餓応答やインスリンやグルカゴンなどのホルモン応答の研究が、細々と行われていたに過ぎなかった。pre-Ohsumi-eraのオートファジー研究は、(関係する遺伝子が不明であったために)20世紀後半に爆発的に進展した分子生物学を基軸とした最先端技術の恩恵を受けることなく、停滞を余儀なくされていた。事実、この頃のオートファジーと銘打った発表論文数は年間7~8編程度であった。

この閉塞状況を打破したのは、上記(1)と(2)の論文であり、この二つの論文は、正にpost-Ohsumi-eraの幕開けを告げる鬨の声であった。論文(1)は、出芽酵母におけるオートファジーの発見を、最初に報じたものであった。特筆すべきことは、これまで電子顕微鏡でしか観察されていなかったオートファジーという現象が、酵母においても存在することを、洗練された電子顕微鏡像として示すとともに、驚いたことに、その動態が光学顕微鏡で観察できることを実験的に見事に証明した。加えて酵母というモデル生物が、オートファジー機構の解明に繋がる有効な手段であることを、この時すでに予見していたことに、大隅博士の他を寄せ付けない非凡さがあったと思われる。即ち、遺伝学的解析が比較的容易な酵母は、来たるべきオートファジー研究の大躍進にとって、不可欠な実験系であったのである。そしてその成果は、瞬く間(翌年)に華開くことになった。大隅博士は、この酵母システムを縦横無尽に駆使して、約15個のオートファジー遺伝子の単離に成功したのである(論文2)。FEBS Lettに発表した論文(2)が、事実上のノーベル賞論文であると私は思っている。A. Ciechanover教授が師匠であるA. Hershko教授らと一緒に「ユビキチンがタンパク質分解のシグナル分子である」ことを発見したノーベル賞論文は、1978年に発表されたBBRC論文である。タンパク質分解の歴史に永く刻印され続けることが約束された二つのノーベル賞論文が、FEBS LettとBBRCというマイナー誌であったことは、あまりにも斬新な発見は、当時の権威ある研究者たちに受け入れなかったことを示唆しており、これは独創性の一つの象徴であると私は思っている。

さて論文(3)と(4)は、世界を震撼させた「オートファジー機構の解明」に関する論文である。大隅博士が単離したオートファジー遺伝子の約半数が、Atg12とAtg8を翻訳後修飾分子とする「ユビキチンと類似の共有結合反応システム(Atg12- and Atg8-Conjugation System)(Nature 1998, 2000)を構成していること」が判明したのである。そして、これらの二つの酵素系(タンパク質修飾系と脂質修飾系)が、オートファゴソーム膜形成に必須であることを突き止めた。これらの発見は、私にとっても青天の霹靂であるとともに、オートファジーが俄かに身近に感じられるようになった。このUbiquitin-like Modifying Systemの発見以後、私は大隅博士と度々同じ国際学会などで行動を共にするようになったからである(写真2)。今回、「オートファジーの仕組みの発見」を受賞理由としたことで、ノーベル委員会は、他の研究者たちが介在する余地のないことを明確に表明したかったに違いない、と私は推量している。勿論、その他のオートファジー遺伝子群についても、Atg1キナーゼ複合体、PI3キナーゼ複合体、Atg9小胞などに分類され、国内外の多くの研究者たちによって精力的に研究されてきた。しかしもっとも精緻に解析されてきたオートファジーの栄養飢餓誘導メカニズムを含めてオートファジー研究には、現在なお未解明な課題が山積していることは、大隅博士が依然と研究の第一線で活躍していることからも明瞭である。いずれにせよAtg12システムとAtg8システムの発見は、独創性の名を縦にして他の研究者たちを圧倒、殆ど全ての国内外の研究者たちを平伏させたのである。

さてその後、オートファジーの研究は、大隅博士が育成した吉森保教授(大阪大学)や水島昇教授(東京大学)らを中心に多数の研究者たちを巻き込んで、哺乳類を含む多様な生物系に拡大され、未曾有の発展を遂げた。私のかつての弟子である小松雅明君(新潟大学)も、大隅博士が発見されたAtg7遺伝子の機能解析を基盤に成長した研究者の一人であるが、名前は明記しないものの同じように大隅遺伝子により恩恵を受け成功した若い研究者たちは、数多く存在する。さらに大隅遺伝子の余波は、日本のみならず国外にも深く木霊して行った。例えばD. Klionsky、B. Levine、DC. Rubinsztein、H. Zhang教授らを始め多数の叡智に長けた俊英たちは、発生・ガン・神経変性疾患・老化など数多くのテーマで凌ぎを削る闘いを繰り広げ、枚挙の暇がないほど多数の論文が上梓されてきた。実際、2015年には、オートファジーに関する論文は、年間5,000報に及んでいる。しかしこれらの研究の殆ど全てが、大隅博士が発見したオートファジー遺伝子が存在しなければ、日の目を見ることのなかったといっても決して過言でなく、ここにpost-Ohsumi-eraの真骨頂があり、pre-Ohsumi-eraとは、一線を画し大変貌を遂げたオートファジー研究の変遷が読み取れるのである。

私の個人的見解であるが、ノーベル委員会は、強いて受賞理由には挙げなかったが、大隅博士の卓越したもう一つの優れた功績は、吉森保教授や水島昇教授を代表とする多くの弟子を育て上げたことにあると思っている。拡大の一途を辿っている幅広い生命科学のあらゆる領域の中で、個人的に世界をリードしている日本人研究者たちは、数多くいるものの、研究領域として日本が世界の中心である例は、オートファジー以外には多くは見当たらないというのが、私の見解である(もう一つの例は、近年、進展著しいiPS研究領域であろうか)。実際、この領域でもっとも歴史のある「オートファジー国際会議」は、これまでに隔年に合計7回開催されているが、そのうち5回が日本での開催であり、来年の第8回目の開催も日本での開催準備が進められていると側聞している。これは、長い日本の生命科学史においても極めて稀有のことであるように思われる。本年のノーベル賞発表前には、私は、一つのイメージとして、大隅・吉森・水島教授たちのtrio独占共同受賞を期待したこともあった。このような事態には至らなかったが、彼ら弟子たちがオートファジー領域を牽引する独創的な研究を個々に展開し、世界を席巻し続けたことが、即ち大隅博士が優秀な後継者たちを育成して、日本のオートファジー研究を世界の中枢に押し上げてきたことが、ノーベル賞単独受賞に大きく寄与したのではないかと、私は思っている。

さて最後に、大隅博士の今回の栄誉を冷静に祝すとき、私は是非とも言及しておきたいことがある。それは、大隅博士と長年共同研究し、オートファジー遺伝子がコードしたタンパク質群の殆ど全ての高次構造の解析に尽力してきた故稲垣冬彦博士のことである。稲垣博士は、大隅博士とほぼ同世代であり、私も近しい関係にあったが、2016年6月15日に、突然、永眠された。もし稲垣博士が生きておられたら、今回の慶事に惜しみない拍手を送り、大隅博士の英知を讃え、手を携えて歓喜の美酒に酔ったことであろうことを思い、そして鬼籍に入られるのが、もう半年遅れたら、心底、歓びを分かち合えたであろうことを思うと、只々、無常に咽ぶばかりである。稲垣博士は、天空から大隅博士のストックホルムでの授賞式を見守り、喝采拍手するであろうことを想い、同博士の冥福を改めて祈りたい。

(2)憂愁

大隅博士のノーベル賞受賞は、発表直後から、弟子、友人、先輩ら各方面から業績の偉大さや祝福の声が、連日、TVや新聞の一面を賑々しく飾り、日本中が興奮の坩堝と化した。勿論、大隅博士自身も多くのコメントを出したが、自らの功績に関しては奢ることのない、そして基礎科学への矜持を秘めた感想を屡々吐露してきた。しかし、これまでの多くのノーベル賞受賞者たちとは、一線を画する発言も随所に見受けられた。例えばその代表は、現代の日本がおかれた科学環境に警鐘を鳴らす声であった。即ち、「基礎研究の衰退」・「日本の科学の空洞化」・「基礎科学研究費の不足」・「役に立つ研究を過度に推奨する風潮への疑義」・「若手研究者支援の必要性」などについて、矢継ぎ早に言及したのである。これらの発言の真意は、多くの基礎研究者の共有するところであり、大隅博士が意識して声高に発言していることへの共感は、巷に溢れているといっても過言でないと思われる。しかしこの一連の大隅博士の発言は、実は彼が長年抱き続けてきた持論でもあった。その一例を示すと、日本学術振興会は「科研費と私」という、科研費に関する意見や期待などを掲載するためのコーナーがあり、大隅博士は平成27年7月に次のような文章を寄せている。

「…現在の科研費、とりわけ基盤研究の絶対額が不足しており、採択率がまだ圧倒的に低い…最近、国全体で研究の出口を求める傾向が強くなっていることは否めないが、研究者の方も一方的に思い込んで自己規制をしていることはないだろうか。私は、研究者は自分の研究が、いつも役に立つことを強く意識しなければいけない訳でもないと考えている。“人類の知的財産が増すことは、人類の未来の可能性を増す”と言う認識が広がることが大切だと思う。役に立つことをいつも性急に求められていると思うことで、若者がほとんど就職試験での模範回答のごとく、考えもなく“役に立つ研究をしたい”という言葉を口にする。直ぐに企業化できることが役に立つと同義語の様に扱われる風潮があるが、何が将来本当に人類の役に立つかは長い歴史によって初めて検証されるものだという認識が、研究者の側にも求められていると思う」

この発言に見られるように大隅博士の基本的な考え方は、「すぐには役に立たない研究であっても、のびのびとヒトのやらない研究に邁進することができる環境」を維持することの重要性に終始一貫しており、この信念が、恰も日本の科学行政の批判とも取られかねない際どい発言になっているのである。ノーベル賞受賞を祝す寄稿文の表題に「憂愁」という言葉が似つかわしくないことは、私も百も承知の上であるが、日常的に接してきた経験から大隅博士の科学に対する見解を忖度して、私は敢えてこの言葉を本稿の表題に用いることにした。それは、大隅博士が、近年、いつも我が国の基礎研究の在り方について、将来への危惧を声高に主張していたからである。大隅博士は、もとより難病を予防・治療するための疾病研究や経済的繁栄に資する応用的な技術研究を軽視する意図は全然ないのであるが、その一方で、過度に「役に立つ研究」のみが評価され、研究費の配分が応用研究に偏ることの弊害について、警鐘を鳴らしてきたのである。人類の「知」の発展に貢献するのは、疑いなく人材である、人材育成こそが科学技術による社会・人類の発展の基盤である。若い人たちが、自由の赴くままに夢のある研究に埋没できる環境を整備することが、団塊の世代の大きな責務であると、大隅博士は主張し続けてきた。かつて基礎研究の充実があったからこそ、大隅博士のノーベル賞単独受賞という偉業が達成されたことを、十分に認識すべきであると、私は思っている。

「七人の侍講演会」異聞

大隅博士の報道に関しては、時々、名誉を失墜しかねない風聞も大手新聞誌上に掲載された。例えば、酩酊後、「他人の靴を履き違えて帰宅した!」とか「他人の鞄、それも似ても似つかない鞄を誤って持ち帰った!」とかのエピソードである。はっきり言って、私はその現場に居合わせたので、断言できる。全て真実であると!靴の履き違えの時には、犯人扱いされて閉口した(帰路のタクシーに問い合わせの電話がかかってきたのである)。ただこの手の話は、「私はマスコミには伝えなかった」と記憶していた。この情報暴露の発信源は、多分、永田和宏教授あたりではないかと思っていた(しかし秘書が私もそのような話を記者に語っていたと証言したので、唖然としている…)。兎も角、偉大なノーベル賞学者の剽軽な一面が露わになり、哄笑に価する愉快な話ではある(そして如何ともし難いが、マスコミはこの手の話が大好きなのである)。そこで、今回の受賞に関連した余話として、マスコミの話題を攫った話をしておこうと思う。

それは「七人の侍」講演会である。大隅先生や筆者の「タンパク質分解」領域と「タンパク質の品質管理や分子シャペロン」領域は、永い生命科学研究の中で、共通の学術的基盤を持って研究を推進してきた。それは、重点研究・特定研究・新学術研究と、相互に連携しながら進展してきた歴史があり、時には特定研究「タンパク質の一生」(吉田賢右領域代表者)のときのように、両領域が合同組織を創ったこともあった。2010年頃、これらの組織を率いてきた親しい団塊の世代を中心にした仲間たちが、その責任として「若い世代」に夢を与え、鼓舞する講演会を立ち上げた。これらの仲間たちは、丁度合わせると七であったことから、その講演会の名称を黒澤明監督の有名な剣劇映画「七人の侍」のタイトルを拝借して、「七人の侍」講演会(藤木幸夫九州大学教授発案)と銘打ち、全国津々浦々に講演行脚したのである(写真3)。講演会は、最先端の科学情報を提供するというような高尚な話ではなく、個々人が科学哲学を闊達に喋り捲り、若い研究者たちを煙に巻いて、個性豊かな各人の生き様を次世代に伝言、溜飲を下げることを目的としたのである。こう記すと誠に高潔な動機であるように思われるが、本音を曝け出して言えば、「酩酊」を目的とした講演会であった。即ち、いつも講演会は早めに切り上げて、七名の親しい仲間たちが「酒を肴に科学を論じる会」、否、「科学を肴に酒を楽しむ会」であったのである。齢を重ねてくると、兎も角、同世代の親しい仲間たちと夜を徹して、酒を飲み闊達に話すことに優る楽しみはないのである。「七人の侍」の中心人物のお一人が、大隅博士であり、この仲間たちは、こよなく酒を愛した。私には、大隅博士に対して昔から抱いていた疑惑がある。それは、大隅博士が研究材料として出芽酵母を選んだのは、偶然ではなく、唯単に酒好きが高じたに過ぎない必然であったと密かに思っていたことである。しかし、趣味が高じてノーベル賞単独受賞の高みに登りつめることができたのであれば、もはや文句を言うべき筋合いはない無いというのが、今の私の正直な感想でもある。さてこの「七人の侍」講演会は、大隅博士に纏わる逸話の一つとしてマスコミの記者さんたちに話すと、興味津々で、格好の餌食となったのである。実際、10月4日の読売新聞と朝日新聞の夕刊、また10月23日発行の週刊誌サンデー毎日にも、写真入りで大々的に取り上げられた。正直な話、「七人の侍」講演会は、メンバーの高齢化に伴ってもう潮時であり、本年で打ち止めとする案が俎上に登っていたが、今回の大隅博士のノーベル賞受賞で止めるに止められなくなり、今後も暫く継続する方向で話が進んでいる(永田和宏教授談)。ここにもノーベル賞の影響力の余波が蠢いている。

「写真の解説」

写真1:10月6日に開催された東レ先端材料展シンポジウム(東京国際フォーラム)の会場(楽屋)にて。左から、招聘講演者A. Ciechanover教授(ユビキチン依存性のタンパク質分解機構の解明で2004年ノーベル化学賞受賞)、大隅博士、筆者、岩井一宏教授。(大隅先生は、一寸、お疲れ気味の様子であった)。


写真2:イタリアで開催されたEMBO「Ubiquitin」Meeting にて。大隅博士(左)と筆者(右)。


写真3:「七人の侍」の面々(夕闇迫る京都市白河院の庭にて)。左から、藤木幸夫(九州大学)・田中啓二(東京都医学総合研究所)・永田和宏(京都産業大学)・大隅良典(東京工業大学)・吉田賢右(京都産業大学)・伊藤維昭(京都産業大学)・三原勝芳(九州大学)。


(2016-10-27)

日本細胞生物学会賛助会員