一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

「海外研究室だより」Vol.1 ポストドクトラルフェローがまだ研究生と呼ばれていた頃

飯島 美帆 (Johns Hopkins University School of Medicine)

ポストドクトラルフェローがまだ研究生と呼ばれていた頃に筑波を離れアメリカ、Baltimoreの片隅に居着いて随分経ちました。海外で研究室を運営なさっている日本人も今では珍しくない中で、ふとしたきっかけで私ごときが今回日本細胞生物学会に海外研究室便りを書かせて頂ける事になりました。ウェブサーチした所、実験医学、細胞工学等にも海外研究室の紹介コーナーが有るらしく、他の方々が言い古した様な内容になってしまったらどうしよう。と悩んでしまいますが、とりあえず日々を綴ってみたいと思います。

現在の研究のテーマは走化性運動です。多くの真核細胞は細胞外に存在する化学物質を細胞膜上の受容体を介して感知しています。 細胞外シグナルは受容体を介して細胞内シグナルへと変換され、シグナル伝達を経て細胞の応答を生み出します。このシグナル伝達を理解する上での一つの好例に細胞の走化性反応があげられます。細胞は受容体型チロシンキナーゼやGタンパク質共役受容体を介して化学物質を感知し、その濃度勾配に従って遊走反応を示します。この走化性と呼ばれる反応は軸策伸長、創傷治癒、組織形態形成、免疫反応等、 様々な生理現象においてのみならずガン細胞の浸潤転移又は喘息等を含めたアレルギー反応等の病態生理にも深く関わり、これまでにも多くの研究者によって様々な研究が行われています。それらの研究を通して、走化性反応には細胞運動と化学物質濃度勾配の感知と云う二つの主要な現象が関わる事が明らかにされています。細胞運動の制御の研究はさらにインテグリンの研究に代表される細胞接着の調節機構と複数のRho GTPaseとその下流のアクチン/II型ミオシンによる細胞骨格の調節に大まかに分類されます。これら細胞運動を制御すると考えられる分子ユニットは細胞膜上受容体によって感知された細胞外化学物質の濃度勾配を仲介するシグナル伝達を経てその活性を濃度勾配に従い極性化する事で走化性運動を作り出すと考えられています。 細胞内では細胞外誘引物質の濃度勾配の高い方向に対してアクチンの重合が促進される事で仮足が伸長し、反対側ではII型ミオシンが収縮することで細胞体が前に押され移動することになります。

近年の走化性研究における大きな疑問の一つは何が細胞膜上受容体と細胞骨格を結ぶシグナル分子であるかです。2000年代初頭に細胞膜リン脂質であるphosphatidylinositol (3,4,5)-trisphosphate (PIP3)が走化性反応を示す細胞の仮足部分に局在し、かつPIP3の上昇がアクチン細胞骨格のリモデリングを活性化させる事が相次いで報告され、PIP3が走化性反応において細胞外シグナルを細胞内シグナルへ転換させる際の重要なシグナル分子の一つである事が明らかにされました。しかしながら、現在までにPIP3がどのように下流の細胞運動制御に関わる分子を調節しているかに付いては想像の域を超えるデータは得られていません。且つ、PIP3量の増加はシグナルを活性化させるものの減少は細胞運動に大きな影響を与えない状態もある事から、別の因子が存在することが考えられています。さらに、シグナルと細胞運動を実験的に分離する事の難しさ等の為、現在はシグナリングにおける研究の発展が滞っており、新しいブレイクスルーが必要です。私の研究室ではPIP3が実際にどのようにしてシグナルとして働くのか、またPIP3の極性化を作り出すメカニズムに付いて研究を行っています。

研究室のあるジョンズホプキンス大学は鉄道事業によって財を成したJohns Hopkins氏の遺産によって1876年に設立された私立大学です。アメリカで最初に大学院教育及び研究を始めた大学としての歴史を持ち、現在もライフサイエンスの分野において、米国内で常にトップクラスにランクされています。私はジョンズホプキンス大学医学部の基礎医学研究部門細胞生物学科に所属していますが、9の学科からなる基礎医学研究部門だけでも、 130を超える研究室が所属しており、研究交流、情報交換、研究施設、設備等非常に充実しています。大学内では毎日アメリカ国内外から呼ばれた著名な研究者のセミナーが開かれ、最先端の様々な研究成果が聞けます。ベンチワークに行き詰まった時にはセミナーに行っているだけで(貴重な)日々を有効に(かつ無駄に)潰せます。

Baltimoreの中心部分は古い煉瓦作りのタウンハウスで移民時代の港町の面影が強く残る歴史的な街で、イギリスからの独立戦争の際にアメリカ国歌が作られた場所としてもよく知られています。海産物が豊富で特に夏の渡り蟹が名物です。 たっぷりとスパイスのかかった熱々に茹で上がった蟹を木槌で叩いて食べます。最近ではアジア人の人口も増えて、 普通のスーパーマーケットで日本食が買えるようになりました。野球ではオリオールズ、アメリカンフットボールではレイバンズがチームとしてあるので、スポーツ観戦の好きな方にはたまらないかと思います。何故か危険な所なのですよねと云う質問(?)を良く受けますが、犯罪率は昔に比べて低下していますし、もちろん独りで足を踏み入れてはいけないエリアは有りますが、 私個人的にはゆったりとした過ごし易い街です。首都ワシントンに車で1時間の近さながら、身近な自然も多く、夏になると蛍が飛びまわり、キツネ、リス、シカ、ウサギ、アライグマが家のまわりを普通に徘徊しています。

海外で研究室を運営する事についてのコツとかストラテジーは私には実はよく分かりません。海外に限らず何処にいても、論文が書ける仕事をする事、論文を書く事、 グラントを取る事、の3つが必要なのではと思っています。アメリカでの多くの大学では、アシスタントプロフェッサーから、アソシエイトプロフェッサー、そしてプロフェッサーになり、 テニア(終身雇用)を獲得する事になります。しかしジョンズホプキンスの様に研究を主体とした大学では、終身雇用のシステムが実質無いので、研究を続けグラントをとり続ける事が要求されます。グラントはNational Institutes of Health (NIH)が 研究系大学の主なリソースですが複数のグラントエイジェンシーや寄付も存在します。教育色の強い大学ではNational Science Foundation (NSF) も大きなリソースの様です。また大学によっては学生の給料が大学からサポートされていたり、 州政府からのサポートが有ったりと色々な様です。研究室を大きくするためには頑張ってグラントの額を増やすか、複数のグラントを手に入れる必要があります。少なくともグラントが有る限り研究の自由が保障され、自分の好きな事を好きな様に出来ると云う環境はとても恵まれていると思います。また、このような小さめの研究室サイズで個人のアイディアと成果を競争し合うシステムは私には居心地の良いものに思います。

日米の違いとしては人や環境の多様系が高いことを一番強く感じます。しかし同時に、長い間Baltimoreに住んでいますが、結局は自分の周りのコミュニティーから出る事は少ないと云うのも実感です。人種、環境、教育、収入等のそれぞれに相関する要素によって人々が分かれていて、お互いに認識し合いながらも別々に住み、別々に生きていると言ったら言い過ぎでしょうか。日本で感じていたよりも遥かに人々が隔離されている様に思います。本当はアメリカはこうだと言える程にアメリカを知っている、同時に日本を知っているとも思えませんが。では生活はアメリカと日本で違うのか。これについては 私は本質的には同じだと思っています。違いと感じるものは、より個人のコミュニケーション能力から来ているかと思います。アメリカに来れば英語が流暢でない外国人として日本に居ればありえない苦労を確実にします。自分の言語能力が急に6歳児並みになるのは恐ろしいもので、今までではあり得ない待遇を受け、考えも付かない様な経験を日常でも研究上でもすることになります。でも、そのうちに15歳並には話せる様に成ります。その頃には最初は喉をとても通らなかった食事も美味しい。と思える様に成ります。体重も密かにしっかりと増えて来ます(個人的に)。後は個人の性格と能力と、それぞれが置かれた環境によるかと思います。

アメリカのライフサイエンス系の大学院は多くの大学で無料どころか一年$25000程度のお給料までもらえます。これは大学院生が主要な研究要員でもあるからです。周りの大学院生の3割程度が留学生ですが、日本人研究者はポストドクトラルフェローとして数年の単位で来ていらっしゃる方がほとんどの様で、学生はとても少ないです。働きながら学位も取れるアメリカに日本人が来ないのは何かもったいない様な気もしますが、これは実は日本の大学教育のレベルが高く、 日本国内で十分に良い教育が受けられ面白い研究ができるので海外に出る必要性を皆が感じていない事を意味しているのだろうと思っています。 実際に日本人ポスドク研究者は良い仕事をなさっている方がとても多く、よく教育されていると感心します。ではポスドクとして海外に出る必要が有るのか?と聞かれるとどうなのでしょう。私には何が正解か判りませんし、実際個々人によるのではないかと思います。私は漠然と何処かできるだけ遠くへ行ってみたいと思っていただけで、プランは有りませんでした。そのおかげで(?)アメリカに来た頃は夜中にバス停からアパートまでの道をよく悔し泣きしながら歩きました。色々な人に沢山迷惑をかけました。なんでそんな事をしていたのか、それなのに何でここに残ったのか自分でも判然としませんが、それでも今でも行ける所まで遠くに行ってみようと思っています。所々に未だ残るアメリカンドリームと自由の空気に惹かれているからなのでしょう。多分。

2012年5月某日
飯島美帆    Photos by Kie
(2012-10-07)

海外研究室だより

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